「2年目のジンクス」とは何か。そこに潜む落とし穴【岩政大樹の現役目線】
「変化が起こらない時期」にどれだけ待つことができるかが勝負を分ける
■トレーニングの成果を感じなくなるとき
1年目とは、新しいことを始めることなので、何事も大きな変化が伴います。選手個人にとっても新しい経験ばかりですが、チームにとっても新戦力はいつも新鮮な風をもたらしてくれます。
それに比べれば、当然、2年目に大きな変化は起こりません。例え、小さくない変化が起こったとしても、1年目に比べれば些細なことに映ります。
ここに落とし穴が潜んでいるように思います。
客観的に見れば、平均への回帰という見方もできますが、選手の立場から捉えるともう少し根深い問題があります。それは「変わることへの期待」です。
"待つ"ことができないのです。
つまり、1年目に訪れた刺激的な新しい経験から、その後もあらゆることが変化していくことに期待しすぎてしまうのです。「変化」が訪れるのを待つことができなくなって、焦りを生み、本来はより強固な土台を作るべき2年目に"そわそわ"してしまって、ポストを何度も見に行った僕のように、意味のないことを繰り返ししてしまいます。
僕はこれこそが2年目のジンクスの元凶であり、選手を惑わす原因になりうる理由なのだろうと思います。
僕が20代半ばから取り組んできた、あらゆるトレーニングを通して感じてきたことがあります。
それは、どんなトレーニングも、新しいことを始めた1年目には大きな変化を感じることができるのですが、2年目にはそれほどの変化を感じなくなるということ。そして、変化が起こらない2年目を越えることができるか、できないかでその後が大きく変わってくるということです。
僕は20代半ばに、"そのままの自分"の限界を感じ、様々なトレーニングを試しました。勉強もしました。自分を変えなければという思いから、リスクを恐れず、変化を望みました。
あらゆるトレーニングやあらゆる本は、ほぼもれなく何かしらの変化を僕にもたらしてくれました。最初は、新しい自分を発見したようでワクワクさえしました。
しかし、どんなトレーニングも2年目を迎える頃には、変化らしい変化を感じなくなりました。刺激的な1年目の変化を続けていきたい自分には、それが時に苦痛でもありました。
ただ、僕はそこでトレーニングをやめませんでした。
"待つ"ことができたのです。
新しい知識を入れることもやめませんでした。変化を感じずとも、とにかく「やり続けよう」としていました。