「自分の才能のなさを知っていること」ノムさんは“劣等感”をプラスに考えた
野村克也さん3月毎日更新 Q7.念願のプロ野球選手になった1年目はどうでしたか?
■ボールの握り方すら知らない田舎者だと痛感した
南海ホークスに入団した1年目は2軍暮らしがずっと続きましたね。それも、“壁”と呼ばれるブルペンキャッチャーの不足を補うために採用されたということもあり、ブルペンでピッチャーのボールをひたすら受けるのが私の主な仕事でした。
ただ、プロに入って痛感したのは、そもそも私には、テスト生上がりの新人が先輩のキャッチャーたちを差し置いて2軍の試合に出場できるほどの力が備わってなかったんですよね。それこそ、正しいボールの握り方すら知らなかったんですから。
母校・峰山高校がある京都府峰山町(現・京丹後市)は、京都市から100キロ以上離れた田舎町。当時は今のようにテレビもインターネットもなかったうえ、野球部にはちゃんとした指導者もいませんでしたから、技術的な知識や情報を得ることができませんでした。そのため、部員はみな自己流で野球をやっていたわけですが、私の場合、ボールを真っ直ぐ投げるための握り方を間違って覚えていたんですよ。
でも、劣等感を抱くことはまったくマイナスではないんですよ。そうであることを真摯に受け止めさえすれば、「自分は無知なんだから、とにかく一から学ばなければならない。野球がどういうものか知らなければならない」という向上心につながる。それがまた、自分自身の成長にもつながっていくんですから。逆に言えば、もともと才能があることを自負している選手とは違い、自分の才能のなさを知っていることが、劣等感を抱く人間の強みなのかもしれませんね。
本来なら人差し指と中指をボールの縫い目に垂直にかけないといけないのに、その2本の指を縫い目に沿わせるようにして握っていた。今で言うツーシームですよね。ストレートと同じ軌道から不規則に変化する球種の握り方だったんですが、それが先輩とキャッチボールをしているときに発覚したわけです。「お前はプロ野球選手になったというのに、ボールの握り方も知らないのか。どこで野球を覚えたんだ」と、それはもう、呆れられましてね。そのとき思ったんですよ、「自分は野球のことを何も知らない田舎者なんだ」って。そうした劣等感を抱き続けたのが、私のプロ1年目でした。
そうは言っても、1年目の仕事はブルペンキャッチャーが中心だったので、プロ野球選手としてほとんど何もしていなかったのが実情でした。プロとしての手応えを感じないまま迎えたオフシーズン、私に待ち構えていたのがクビ宣告だったんですよね。