武蔵国(東京)の中心は「府中」だった!
筑波大名誉教授、谷川彰英先生の大ヒット作『地名の由来』シリーズ、東京・江戸編から「府中」の項をご紹介いたします!
■武蔵国の中心「府中」を歩く
古代には今の東京の中心は府中の周辺でした。もともと、江戸の歴史は浅く、太田道灌(一四三二〜一四八六)が江戸城を築いたのは長禄元年(一四五七)であり、また家康が江戸に入府したのも天正一八年(一五九〇)のことで、まだ江戸の歴史は数百年といったところです。
「府中」といえば、まず地名学的には、古代律令時代の政治の中心地ということになります。全国的に府中という地名はたくさんあり、確認されているだけでも二一カ所ある。もちろん全国に散らばっています。なかでもこの武蔵国の「府中」は市名にもなっていて、とびきり有名です。
「駿府」も「駿河府中」の省略形だし、「甲府」も武田信玄の父・信虎の時代につけられた地名ですが「甲斐府中」の略。府中は京王線の「府中」駅のほかに、武蔵野線の「府中本町」駅があり、初めて行くと混乱するかもしれません。
京王線の府中駅を出ると、すぐ脇に大きな通りがありますが、これが有名なケヤキ通りです。これはすごい。初めて見ると、東京にこんな並木があるのかと、びっくりします。このケヤキ並木は古くは源頼義・義家が前九年の役出陣の際、阿倍氏の平定を祈願し、平定後にケヤキの苗一〇〇〇本を寄贈したことが始まり。その後、家康が補植し、二条の馬場を寄進して今日に至っているといいます。このケヤキ並木だけでも一見の価値はあります。
この並木をまっすぐ歩いていくと、大國魂(おおくにだま)神社にぶつかります。これも見事な神社です。そう大きさは感じないのですが、境内や建物に歴史の古さと高貴さを感じさせます。
- 1
- 2