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田中角栄の「戦争で死ぬなんてつまらん」という思い

角栄とその時代 その4:戦争体験と原理原則

角栄の憲法観

—-田中角栄は、戦後憲法における平和主義・自衛隊の存在ってどう見ていたのでしょうか?

吉田茂(出典:歴代首相等写真/国立国会図書館)

平野氏「軽武装・経済重視=保守本流みたいな図式で単純化されてしまうと、それまですが、ただ、角栄は、吉田茂(1878-1967)元首相の憲法との向き合い方、その見識を高く評価しています」

—-それはどんな考えなんですか!

平野氏「朝鮮戦争が1950年に起こって、アメリカの対日政策が変わったんですね。するとアメリカはすぐに、戦後憲法改正を求めてきた。これをハネつけたんです。角栄は、吉田のこの芯の通った筋に痛く感心する。で、この吉田の姿勢が角栄の後の戦後憲法護持につながっていく。で、これが筋論。ただ、先の戦争体験、その皮膚感覚が角栄を護憲派にさせたとも言えると思うんですね。後に資源外交を唱えたのも、日本の国柄を見据え、戦争体験での《持たざる国》が国家として自立するために取るべき外交を考えたと思うんです」

—-では、角栄は安全保障をどのようにあるべきだと考えたんでしょうか?

平野氏「国連中心主義です。護憲と国連中心主義は日本が自立するための最適な方向性であり、これが実は、保守本流の原理原則的な前提(考え)だったんです」

●角さんの教訓4●

角さんは、自分の「戦争体験」と戦後保守本流の「原理原則」を貫くことで、日本は自立できると考えた。

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平野 貞夫

ひらの さだお

1935年高知県出身。法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了後、衆議院事務局に入局。園田直衆議院副議長秘書、前尾繁三郎衆議院議長秘書、委員部長等を歴任。ロッキード事件後の政治倫理制度や、政治改革の実現をめぐって、当時衆議院議院運営委員長だった小沢一郎氏を補佐し、政策立案や国会運営の面から支える。92年衆議院事務局を退職し、参議院議員に当選。以降、自民党、新生党、新進党、自由党、民主党と、小沢氏と行動をともにし、「小沢の知恵袋」「懐刀」と称せられる。自社55年体制より、共産党も含めた各党に太いパイプを持ち、政界の表も裏も知り尽くす存在で、宮沢喜一元首相からは「永田町のなまず」と呼ばれる。現在、土佐南学会代表、日本一新の会代表。主な著書に『ロッキード事件 葬られた真実』(講談社)、『平成政治20年史』(幻冬舎新書)、『わが友・小沢一郎』(講談社)、『田中角栄を葬ったのは誰だ』(K&Kプレス)、『野党協力の真相』(詩想社新書)などがある。


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