使うときは使う、天下人・豊臣秀吉の現金給付
季節と時節でつづる戦国おりおり第421回
〈秀吉の金賦〉
六宮智仁王(のちの八条宮智仁親王)・織田信雄・徳川家康に黄金一000両・銀一万両、弟の秀長に黄金三000両・銀二万両、甥の秀次に黄金三000両・銀一万両、
天正17年5月20日
西暦1589年7月2日
〈現代の現金給付〉
というわけで、今回は豊臣秀吉の場合を見よう。彼の場合は、面白い材料が多くてどれを取り上げようか迷うくらいである。
まずは巷談の類の話ながら、秀吉の出世譚、『太閤記』の中から紹介させていただく。
信長がまだ尾張一国のみを支配していた頃、ある日家中の福富平左衛門の金龍の面指(表指。刀の笄の事。)が盗まれたことがあった。
この時、出自が卑しい秀吉が周囲から犯人と疑われたのである。
これに対して彼は無実の証明のため、津島の富家たちの所へおもむき、例の面指を質入れに持ち込む者が現れたら報せてくれよと頼み、黄金十両を懸賞金につけて首尾良く犯人を捕らえる事ができた。
これが話の概略で、真偽はともかく、彼が津島の豪商たちにも早くから何らかのつながりがあった、というのは、その来歴や抜群の経済感覚から見て不自然ではないのではないか。
話の続きだが、その経済の天才は、泥棒を捕らえたあと、織田家の薪奉行に任命される。それまで年間で1000石以上の費用がかかっていた薪炭を、実際の使用量を厳密に実検して三分の一に抑えたとしている。このあたり、秀吉の経済センスに舌を巻いた古人たちの思いを窺うことができよう。