使うときは使う、天下人・豊臣秀吉の現金給付 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

使うときは使う、天下人・豊臣秀吉の現金給付

季節と時節でつづる戦国おりおり第421回

 そして、彼の天下取りを決定づけたのは、なんといっても翌天正十一年(一五八三)の「賤ヶ岳の戦い」だろう。

 織田家の宿老・柴田勝家と対決したこの合戦では、秀吉の留守を突いて、勝家の部将・佐久間盛政が琵琶湖北東岸の賤ヶ岳に陣取る秀吉方を蹴散らしてしまう。

 この報せを受けた秀吉は、電光石火の早業で軍勢を戦場に返して柴田勢を撃破する訳だ。

 この時、秀吉は面白い強行軍の方法をとっている。

 夕方四時に出発してからわずか五時間で五十三キロ移動して戦線に到着するのだが、ちょうど夜にかかるこの時間帯の中で、彼の軍勢は行軍中に夕食を摂る必要があった。

 この為、秀吉は途中の宿場ごとに兵粮の炊き出しをさせたのだ。

 「米の算用は、百姓ばら、自分の米ならば十そう倍にして、後に取るべきものなり。」(『川角太閤記』)

 約1万5000人の直属軍の腹に入る米を沿道の民衆から確保するために、十倍の対価を約束するという思い切った手段は、さすがは人間通・秀吉というべきか。

 ともあれ、この費用を計算してみると、1万5000の軍勢が必要とする一食分の米の量を二合として全体で30石。これを現代に換算して、2250万円という金額がはじきだされる。

 秀吉は、これに対してさらに10倍払いを約束したのだから、実際の経費はなんと2億2500万円! にのぼる計算となるのだ。晩飯一回分でこの金額なのだから、恐れ入ってしまうほかはない。

 秀吉はこの以前から北伊勢で滝川一益を攻撃しており、そのまま賤ヶ岳の戦いになだれ込んでいる。更に賤ヶ岳の後は柴田勝家の掃討戦に入っており、実に作戦期間は前後二ヶ月以上に及ぶ。

 この間の秀吉軍の食費となると、総数4000の軍勢をふた月食わせるには、米だけで1万4400石、10億8000万円が飛んでいくのである。

 この戦いの時期くらいになると、秀吉の軍勢は天下統一の大義名分のもとに集められた連合軍的な色合いが強くなり、秀吉自身の軍隊は全体の30%くらいになっている。

 この30%の軍勢が所持した鉄砲の数は、約3000挺ほどと推定され、それに関する費用は長篠の時と同じ13億円ほどと計算されるが、それは全体の費用から考えると、もはや大きな意味を持つ数字ではなくなっている。合戦の性格自体が変わってきているのだ。

 

次のページ石垣山一夜城の場合

KEYWORDS:

オススメ記事

橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


この著者の記事一覧