中世にも存在した、フロイスとウイルス
季節と時節でつづる戦国おりおり第423回
新型コロナウイルスが猖獗を極め世界規模で経済が停滞するなか、いつ終わるとも知れない自粛生活に「あれ?慣れて来たかな?」と思う瞬間もあったりする今日この頃。皆様くれぐれも3密にはご注意いただき、ともにこの国難を乗り越えましょう。
というわけで、今から451年前の永禄12年3月13日、現在の暦で1569年4月9日。この日、宣教師のルイス・フロイスは京で織田信長と初めての面会に臨むわけですが、時計はそれから4日さかのぼります。
この日、フロイスは高山友照(右近の父)や和田惟政の後援により堺で日比屋了珪の涙の見送りを受けて京の信長のもとに出発します。当日午後、彼は摂津国富田に着きました。ここは浄土真宗の道場(現・教行寺)の寺内町として繁栄する土地でしたが、フロイスはなぜか町に入らず外れの宿に泊まることにします。
「同所にては短日内に生命を消耗する一種の疫病のため千人余死したるをもって」の措置です(『耶蘇会士日本通信』)。
この疫病が疱瘡(天然痘)なのかは不明ですが、フロイス一行は発生エリアから距離をとり、翌日雨が降ると友照は芥川城に一行を導き一晩中さかんに火を焚いてフロイスらをもてまします。
このあとフロイスは無事信長への拝謁を果たすわけですが、今回のポイントはふたつ。
まず、感染症の発生源に近寄らず、体温が下がらないよう温めて免疫力を維持する。彼はこの2点を実行して伝染病罹患を回避したわけです。
体温については、外部の熱源による暖房効果も大切ですが、内部から、つまり摂食による保温も重要です。貝原益軒の『養生訓』に「羹は熱きに宜(よろ)し」「あつ物、只(ただ)一(ひとつ)によろし」とあるのは、羹(=あつもの=当時のスープで、肉や魚ではなく野菜を具にするもの。
同じ〝あつもの〟でも肉や魚を具にするものは臛と書く)が至高の健康食だと教え、特に「乾燥野菜を煮て食べよ」「煮て干した葉をスープにして食べよ」と益軒は細かに指示してくれています。筆者もまだまだ警戒して一枚余分に着重ね、不要不急の外出を避けてお家で温かい野菜スープに舌鼓を打って過ごすことといたしましょう。