ミッドウェー海戦の定説である<br />“運命の5分間”はなかった!?<br /> |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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ミッドウェー海戦の定説である
“運命の5分間”はなかった!?

太平洋戦線のターニングポイント ミッドウェー海戦の真実 第4回

 

前回はこちら:兵装転換の中の日本空母がアメリカ軍の奇襲を受ける

 ミッドウェーの戦いについては、日本艦隊の指揮官の判断ミスがすべての敗因とされている。同時に日本の機動部隊にあと5分という時間が与えられれば、勝利の可能性もあったという説が一般的である。これを「運命の5分間」と表現する研究者も少なくない。これは事実なのであろうか。
 そのため時間的な経過を出来るだけ丁寧に調べてみた。そうすると、南雲忠一という指揮官は、「時間を要しても、理想的な体勢を維持する」という性格であることがわかる。

 南雲の基本方針は、「ミッドウェー島から帰還した攻撃隊を収容、敵艦隊への攻撃はすべて対艦装備で」といった具合である。一方山口多聞は、「危険が迫っているから、ともかく全機を一刻も早く発進させるべき」と考えた。結果は、山口が正しく、機動部隊同士の戦いはなにより“時間が勝負”であることはいうまでもない。

 またこのような時間経過を見ていくと、「運命の5分間」は抽象的な意味ならば正しいといえるが、厳密には間違いではなかろうか。
 最初の1機が発艦した後でも、すべての攻撃隊が飛び立つまでには、1時間近くの時間が必要なのである。1隻の空母から1機が発艦するのに要する時間は、少なくとも1分はかかろう。攻撃隊が50機からなっていたとすると、1時間近くを要する。これではとうてい間に合うはずもない。
 だいたい機動部隊はそれ以前の2時間も前から、いろいろな形の攻撃を受け続けているのである。この空襲下で、味方の航空機の収容、攻撃装備の2度の変更などを実施していては、勝利の公算など皆無であろう。たしかにアメリカ艦隊の発見が遅れるといった不運はあったが、やはり最大の敗因は、南雲が機動部隊同士の戦いの本質を理解していなかったという以外にないのであった。

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三野 正洋

みの まさひろ

作家、NPO法人「DEM博物館を創る会」理事。1942年千葉県生まれ。大手造船会社にて機関開発に従事の後、日本大学准教授(一昨年定年退職)『日本軍の小失敗の研究』(正・続、光人社)、『「太平洋戦争」こう戦えば…―「If」の太平洋戦争史』(ワック)ほか著書多数。


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