【ニッポンの歴史舞台を旅する[福島編]】土方歳三・斎藤一 会津戦争での奮闘経路を辿る!
福島に残る新選組の足跡
■土方歳三と斎藤一が奔走したルートに思いを馳せる旅!
大政奉還の翌年、慶応4年(1868)から始まった戊辰戦争。江戸を占領した新政府軍は、最大の標的・会津藩はじめ、旧幕府派勢力の討伐のため、東北へ矛先を転じた。その激戦の幕開けが、慶応4年春(閏[うるう]4月)の白河口の戦いだった。
現在の東北本線・白河駅から北へ約500m、小峰ヶ岡と呼ばれる高台に白河小峰城がある。この城を舞台に4月から7月まで両軍の激闘が続いた影響で、城内の建物はすべて焼け落ちた。しかし、平成3年に御三階櫓(やぐら)が江戸時代の史料に基づいて忠実に木造復元された。高い石垣の上にそびえる姿は他の城の天守に匹敵する威容を誇る。
白河小峰城を占領後、新政府軍はさらに進軍を続ける。会津藩ほか旧幕府勢力は母成(ぼなり)峠で食い止めようとしたが、新政府軍の猛攻を支えきれず、会津・鶴ヶ城(会津若松城)下での戦闘を余儀なくされた。籠城からひと月後の9月22日、会津藩は降伏し、東北での戦争は終わった。
鶴ヶ城の建物は近年に復元されたものだが、かつて城内にあった三階櫓が城下の阿弥陀(あみだ)寺に移築され現存する。その境内には戦死した旧幕府軍兵士を埋葬した東軍墓地がある。
「会津を見捨てるのは正義ではない」
と言い、戦い続けた元・新選組の斎藤一は、大正4年(1915)に没し、この阿弥陀寺に眠る。4月の宇都宮城の戦いで負傷し、戦線を離脱した土方歳三に代わり、白河口や会津若松城下の戦闘で新選組の指揮をとったのは斎藤一であった。
いっぽう、負傷した土方は会津城下の清水屋旅館で療養につとめたが、言い伝えでは、若松城下の東山温泉で湯治したとされる。また、その近くの天寧寺(ていねいじ)には江戸郊外で処刑された近藤勇の墓がある。療養中の土方が亡き友・近藤を偲び建てたという。福島県各地に残る旧跡は、戊辰戦争を戦い続けた新選組や旧幕府軍の武士たちの思いを物語る。
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