ピンチの時こそ義が大事――戦国武将・高橋紹運の生き様
第十八回 SAMURAIファイル 高橋紹運
日本が誇る錚々たる戦国武将たちの魅力。
外国人の目に我が国の英雄たちはどう映っているのか
このブログでも何度も書いてきたが「忠義」や「義理」を果たすということは侍の生き方の基本でもある。
大友家の重臣だった高橋紹運(じょううん)も、最後まで主君への恩を忘れず、「義理」と「忠義」を貫いたサムライだ。
長い間、敵対していた大友と島津。1586年には、九州制覇を目指す島津軍が5万の兵を率いて、紹運のいる岩屋城に攻めてきた。岩屋城に残っていたのは、たった760人!
どう考えても「負ける」可能性が高い。それでも、徹底抗戦をする紹運。2週間以上戦い続け、結果的に島津も兵の多くを失うこととなる。紹運の決意とこの勇気。なかなかできることではない。
そんなとき、島津軍の一人が紹運に、こんな話を持ちかけた。
「紹運殿の強さは、よくわかりました。もう良いではないですか。もう主君に義理をつくす必要もないでしょう。降伏してはどうですか?」
それを聞いた紹運の答えは要約すると、こうだ。
「主君が強い立場にあるときは、みんな頑張る。しかし、主君が衰えると命をかけて戦おうとするものは、ほとんどいない。武家に生まれたものとして、恩や義理を忘れるなんていうのは、鳥獣以下だ。(オレには、そんなことはできん!)」
敵にも味方にも聞こえるように、紹運は大声で叫んだらしい。最後は味方をすべて失い、切腹。38歳だった。負けるとわかっていても、最後まで諦めず、主君のために戦った高橋紹運。敵の島津軍からも「素晴らしい武将だった」と賞讃を受けたそうだ。
関ヶ原の合戦で、徳川家康から東軍につくように誘われるものの「秀吉公を裏切るなら、死んだ方がまし」と断った侍に、立花宗茂がいるが、実はこの宗茂の父は、何を隠そう高橋紹運だった!
こうしたことは、主君に限らず、友達にも言えること。いいときに近寄ってくる人はたくさんいるけど、ピンチになると、助けてくれるどころか「メリットがない」といって去っていく人だっている。
ピンチの時こそ、そばにいて慰めてくれたり、応援してくれたり、力を貸してくれる人こそが、本当の友人であり、信頼すべき仲間だと思う。
現代よりも壮絶な時代に、親子ともども、かっこいい生き方、生き様を示してくれた尊敬すべきSAMURAIだ。
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