江戸時代のカップルはこんなデートをしてました
歌舞伎見物やお花見、出会い茶屋で人目を忍んで密会したり…
でももし仮にあなたが江戸の住人だとしたら、いったいどんなところへ出掛けていたのでしょうか。
歴史研究家の板嶋恒明氏に話をうかがってみました。
残念ですが、そもそも武士の家に生まれていたら、デートに行くこと自体を諦めるしかありません。
武士は未婚の者が男女同伴で外出することはもちろん、夫婦であっても、ふたりでの外出はめったにないことでした。
もしも、あなたが町人でしたら、少しラッキーです。それでも結婚前に公然とデートすることは表向きは憚られることでしたから夫婦デートが前提です。
まず、現代の映画館、これに相当するのは「歌舞伎見物」でしょう。歌舞伎の興行は明け六つ(朝の6時頃)から始まり、夕七つ(午後4時頃)まで一日がかりでしたから、しっかり見ようと思えばちょっと早起きが必要でした。見物料は最も安い土間の枡席でも132文程度でした。当時、蕎麦一杯が16文ですから、今の映画のように気軽に行くというわけにはいかなかったようです。
また、スポーツ観戦としては「相撲見物」がありました。両国の回向院では春と冬の2回興行がおこなわれ、大変人気がありました。ただし、残念ながら、当時は相撲を女性が見ることはできませんでしたのでデートで見物というわけにはいきませんでした。
季節が春なら今でもデートに人気の花見がいいかもしれません。上野の寛永寺、隅田川堤、品川の御殿山等が花見スポットとして有名でした。そのなかでも寛永寺は将軍家の菩提寺ということで江戸中期以降は賑やかに騒ぐことが禁止されていましたので静かに桜を楽しみたいデートスポットとしては最適だったかもしれません。
出会い茶屋でこっそり
そして夏ならば両国の花火を見るのも粋だったでしょう。ところで、先に未婚の者が公然とデートすることは憚られたと書きましたが、当時の川柳などを見ると、それは表向きのことで実際には武家や上流の商家以外の庶民は男女の間柄について寛容な部分もあったようです。
また、人目を忍んでということなら男女が密会できる「出会い茶屋」というものがありました。ここでなら誰でもこっそり会うことができたわけです。
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どうでしょう。少々窮屈な気もしなくもないですが、江戸時代の皆さんも四季折々、デートを楽しんでいたようですね。
こうしてみると、お互いを少しでも分かり合いたいという男女の気持ちは現代と江戸で、まったく異なっていたということでもなさそうです。
まあ相手がいないとどうしようもないのは今も昔も変わりませんが…