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【日本遺産】江戸の粋を感じる大山詣り〈たのしみと御利益を兼ねそなえた伊勢原・大山へ!〉

日本遺産を旅する 神奈川県 【伊勢原市】

【日本遺産のストーリー】
江戸庶民の信仰と行楽の地 ~巨大な木太刀を担いで「大山詣(おおやままい)り」~ 

 大山詣りは、鳶などの職人たちが巨大な木太刀を江戸から担いで運び、滝で身を清めてから奉納と山頂を目指すといった、他に例をみない庶民参拝である。そうした姿は歌舞伎や浮世絵にとりあげられ、また手形が不要な小旅行であったことから人々の興味関心を呼び起こし、江戸の人口が100万人の頃、年間20万人もの参拝者が訪れた。
 大山詣りは、今も先導師たちにより脈々と引き継がれている。首都近郊に残る豊かな自然とふれあいながら歴史を巡り、山頂から眼下に広がる景色を目にしたとき、大山にあこがれた先人の思いと満足を体感できる。

■いなせな江戸っ子が木太刀を担いで目指した“大山詣り”とは

目指すは祈りの山・大山 信仰と行楽を兼ね備えた魅力

 江戸時代、庶民の間では「講」と呼ばれる団体でのお参り旅行が盛んに行われた。伊勢神宮に詣でる「伊勢講」がよく知られているが、「大山講」もそれに匹敵するほど人気が高かった。江戸の人口が100万人だった時代に、年間20万人もの参拝者が訪れたというから驚きだ。その様子は古典落語「大山詣り」にもなり、いかにも楽しそうである。「神仏詣りは信心深い人が行うもの」という先入観を取り払わないと、それほど多くの人々を引き付けた大山の魅力は見えてこないだろう。

 平地から見て存在感がある山は古代以来、信仰の対象となり、その山に登頂することは、神仏を感得するための修行とみなされていた。とりわけ富士山は皆の憧れの的だったが、江戸からは7日ほどを要し、関所越えもある。しかしその手前の大山までなら、帰りがけに江の島などの観光地に立ち寄っても4日程度。レジャーも兼ねて気軽に出かけられる点が、粋で遊び上手な江戸っ子たちの心を捉えたのである。

 しかしながら神仏詣での旅においては、むろん、御利益があることが大前提となる。大山は「雨降山」とも呼ばれ、水源となる山であった。そのため、雨乞いや五穀豊穣を祈願する場となり、さらには、商売繁盛の御利益もある。富士山と大山の双方に詣でると、「両詣り」と言って御利益も倍増すると言われたが、先にも述べたように、富士山への旅はおおごとである。そのため、江戸の各所に小さな富士塚が作られ、それに登れば、富士山に行ったのと同じ御利益が得られるとされた。それに加えて実際に大山詣りをすれば、めでたく両参りとなったのである。

「相模国大隅郡大山寺雨降神社真景」(五雲亭貞秀) 多くの参拝客で賑わう大山の詳細が描かれている。また、背景には富士山も。3枚組、安政5(1858)年の作品。

 

霊験あらたかな大山 武運長久を願った納め太刀

 霊山としての大山の歴史は、大山講が盛んになった江戸時代より古く、奈良時代にまでさかのぼる。まずは、日向地区に霊山寺(りょうぜんじ)、石雲寺(せきうんじ)などが創建された。霊山寺は8世紀初頭に行基によって創建されたと伝わる古刹で、神仏分離令以降は宝城坊(ほうじょうぼう)という名に変わった。全国でも珍しい鉈彫(なたぼり)の薬師三尊像など、優れた仏像が数多く残っている。そして、平安時代になると大山地区には阿夫利神社が、比々多地区には比々多神社が、他にも高部屋神社などが次々に成立していき、信仰の場としての大山は多彩に発展していく。

 ここで下の浮世絵の男性を見てみよう。手にしている棒のような物は、大山詣りの最大の特徴である「納め太刀」とよばれるもの。鎌倉時代、源頼朝が武運長久の祈願のために大山寺に太刀を奉納したという伝承に由来し、江戸からやってくる人々も木太刀を奉納するようになっていく。中には何人もで担がねばならないほど巨大な木太刀を持参する講もあった。これもまた、派手で威勢のよい江戸っ子好みのお参りスタイルだろう。

 大山は、当初は限られた宗教者のための修行の場であったが、江戸文化の担い手となった庶民たちに好まれたことにより、他の霊山信仰とは一味違う独特な文化として開花したのである。

 


「すべての道は大山に通じる」 大山道と道標(どうひょう)の話

 大山を中心に放射状に広がった「大山道」と呼ばれる道には、各方面から訪れる参拝者を大山へ導くための道標が多く設置された。現在も様々な文字や形状、大きさのものが遺っており、江戸からの参拝者が通った「青山通り大山道」経路の東京・三軒茶屋でも確認できる。平成20年度の調査時には「大山」もしくは「大山道」との記載がある道標は39基であったと報告されている。


大山に根付いた信仰の歴史を歩く ― 信仰の山に寄り添うように建てられた古刹 —

《日向エリア》
大山の東側入山口にあたる日向渓谷沿いには、大友皇子の墓や浄発願寺などが点在し、長閑な景観とともに古寺散策が楽しめる。6月頃には日陰道のあじさいが見頃となる。伊勢原駅北口から日向薬師バス停まで約25分

宝城坊(日向薬師)[MAP-①]/「日本三薬師」のひとつであり、霊亀2年(716)に行基により霊山寺として創建されたと伝わる。国重文が多く祀られており、源頼朝や北条政子も参拝した。毎年4月の例大祭では「神木のぼり」(上写真・左下)が行われる。伊勢原市日向1644
石雲寺[MAP-②]/「雨降山」の山号をもつ寺院で本尊は釈迦如来。養老2年(718)開創と伝わる。近くには大友皇子の墓と伝えられる石造りの五層塔(上写真・左下)が祀られている。伊勢原市日向 1767

 

《大山エリア》
多くの宿坊が立ち並び、講中が禊を行った滝も遺る。大山阿夫利神社、大山寺を擁する。伊勢原駅北口から大山ケーブルバス停まで約30分

高部屋神社[MAP-③]/「延喜式神名帳」に相模国13座の1社と記されており、かつては糟屋庄の総鎮守として崇敬された。御祭神は神倭伊波禮彦命。天正19年(1591)には徳川家康から社領10石の御朱印状を拝領した。本殿、拝殿は国登録文化財。伊勢原市下糟屋2202

 

《比々多エリア》
大山を背に南へと開けたこのエリアは社寺のみならず、古墳や横穴墓が多いため大和政権との繋がりが深かったと推察できる。

 

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  • 一個人編集部
  • 2018.02.24