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【日本遺産】江戸の粋を感じる大山詣り〈たのしみと御利益を兼ねそなえた伊勢原・大山へ!〉

日本遺産を旅する 神奈川県 【伊勢原市】

■関東三大不動のひとつ源頼朝や春日局も信仰した大山寺に詣る

 天平勝宝7年(755)、東大寺を開いた僧・良弁によって創建されたと伝わる。良弁の高弟である光増和尚が二代目住職となり、三代目は弘法大師であったとも言われている。鎌倉時代には源頼朝が戦勝祈願のために太刀を奉納したとされることから「納め太刀」の風習がはじまった。その後、現在も本尊として祀られている鉄造の不動明王像が鋳造された。江戸時代になると家康による山内改革を経て、春日局の参詣など幕府の厚い保護を受けた。そして、大山詣りでは本尊不動明王への参拝が目的の一つとなっていた。
 明治初頭の廃仏毀釈の際には、この像があまりにも恐ろしい形相に一変していたために暴徒たちが恐れをなし、破壊を免れたとの伝承も残っている。

かわらけ(土器)投げで厄除け・開運
すぐに土にもどる素材でできた直径6cmの“かわらけ”を投げると、厄除け・開運の御利益が。「一、投げて厄を落とし 一、砕いて厄を払い 一、的を通して願いが叶う」とあるように、崖下に直径2. 5mの福輪があり、その中を“かわらけ”がくぐれば幸運をもたらすとされている(写真提供/NOBO ※写真左)。

大山寺界わいの女坂にある七不思議を探す(写真右)
大山寺を目指す際に楽しんでもらいたいのが女坂の「七不思議」。①弘法の水 ②子育て地蔵 ③爪切り地蔵 ④逆さ菩提樹 ⑤無明橋 ⑥潮音洞 ⑦眼形石という7つの不思議が山道の随所にある。写真右は弘法大師が爪で一夜のうちに彫ったという爪切り地蔵。

大山寺
大山寺
不動明王
眼力が凄まじい鉄造不動明王と二童子像。総高287cm。国重文。時の将軍から関東一円の武士・庶民にまで広く信仰された
大山寺
紅葉の時期には三十六童子が並ぶ石段がライトアップされ、多くの人で賑わう
境内奥、八大童子の横にある倶利伽羅龍(写真右)。地上高約11mの宝篋印塔。香花を供えて右に3度回ると願いが叶うといわれる(写真中央)。大山寺付近の山道で出会える六地蔵。大山のいたるところに石仏が残っており、篤い信仰心を感じる(写真左)。

 


■2000年以上の歴史と雨降山の神々を感じる大山阿夫利神社に詣る

 今から2200年以上前、第10代崇神天皇の御代に創建されたと伝わる。延喜式神名帳にも記された関東屈指の由緒を持つ古社で、山頂には石尊大権現が祀られていた。明治の神仏分離令により、かつて大山寺の不動堂があった場所に下社が建てられ、山頂に本社が建てられた。この本社には、現在の主祭神であり、山の神、酒の神として古事記にも登場する大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)が祀られる。富士山の神である木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)の父神であり、両詣りの風習はそこから生まれたとも考えられる。同じく山頂にある前社には、水の神である髙龗神(たかおかみのかみ)、奥社には、雷の神である大雷大神。水の神、雷の神が祀られるのは、大山が雨降山と呼ばれ、雨乞いの地として信仰されたためだ。

 

大山阿夫利神社
大山阿夫利神社下社
大山阿夫利神社
大山能狂言は江戸時代から引き継がれた伝統芸能(写真は社務局能楽殿での奉納)
境内に遺る、様々な寄進物を見てまわるのも楽しみのひとつ(写真右)/奈良春日大社伝承の舞である倭舞と巫子舞(写真右から2番目は巫子舞)/大山阿夫利神社下社の石段下には、往時の雰囲気を感じる茶屋(通称・大山の三軒茶屋)がある(写真右から3番目)/鳥居をくぐるとすぐに富士山の岩を用いた五頭の獅子が出迎えてくれる(写真左から2番目) 秋季例大祭では、大山6町の氏子による神輿の渡御が行われる(写真左)
殖産・長命延寿の神泉(写真左)下社拝殿右脇にある「大山名水入口」をくぐると、地下に湧き出る御神水が龍の口から流れ出ている。案内板には「山内只一カ所の貴重な水源より引水した最も清らかで尊い水」とあり、長らく殖産・長命延寿の泉と言われ愛飲されてきた。汲取用のボトルも販売されている。 ぼけ封じの守護神(双体道祖神)(写真右)地下順路内には「さざれ石」や「納め太刀」とともに「ぼけ封じ」道祖神も。悪しきものの侵入を防ぐといわれている。

 

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  • 一個人編集部
  • 2018.02.24