「刀」ではなく「筆」で名を残した武将――「信長公記」を書いた太田牛一
第十九回 SAMURAIファイル 太田牛一
日本が誇る錚々たる戦国武将たちの魅力。
外国人の目に我が国の英雄たちはどう映っているのか
サムライは、戦うだけのものではない。
「戦場で血を浴び、人を斬る」
そこだけに注目して「SAMURAIなんて野蛮だ」と捉える人もいるようだが、僕はそうは思わない。国を守るために戦い、剣や弓の修業をし、茶道、書、俳句などをたしなむ、文武両道のSAMURAIも多い。こうした両面を持っていることも、僕がSAMURAIを好きな理由の一つだ。
太田牛一。
1527年、尾張の国・春日井郡山田荘安食村(現在の名古屋市北区)に生まれた戦国武将。彼は、SAMURAIでありながら、後世に残る素晴らしい歴史書を書いた。それが、織田信長の一代記「信長公記」だ。
柴田勝家につかえた後、織田信長に弓の腕を認められ、側近の家臣となる。
合戦で戦うばかりではなく、信長からの信頼を得ていた牛一は、政治的なことにも対処していたと言われている。
「本能寺の変」で信長を失った後は、丹羽長秀、豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の合戦の13年後、1613年に死去した。
僕は、太田牛一の書いた「信長公記(The Chronicles of Lord Nobunaga)」の英語版を読んだ。さすが側近の書いた、信長に関する日記。ほんとうに素晴らしい!
一気に読んでしまいたいくらいだけど、なんだか、この楽しみがもったいなくて、少しずつ読んでいます(笑)
歴史は「勝者によって書き換えられる」ものなので、実際とは異なる見方で書かれているものも多いが、牛一の書いた「信長公記」は、信頼性が高い一級品の歴史書と言われている。その他にも、関ヶ原の合戦について書いた「太田和泉守記」(おおたいずみのかみき)」や豊臣秀吉のことについて書いた「太閤様軍記」などの書物を残した太田牛一。
彼のおかげで、僕らは、戦国時代の英雄についての歴史を知ることができるのだ。
サムライは、戦うだけのものではない。そんなことを教えてくれるSAMURAIの一人だ。
- 1
- 2