三島由紀夫が警戒したもの。それはまさしく安倍晋三的な「言葉の軽さ」だった!
作家・適菜収が偽装保守・安倍政権の問題の本質を突く
安倍でもわかる三島由紀夫のお話~言葉の混乱~
三島は言葉を正確に使う人でした。
だから、言葉の混乱が許せなかった。
戦後の日本の政治家で、もっとも言葉が軽いのは間違いなく安倍だろう。
頭も軽いが、言葉も異常に軽い。
三島は言います。
❝記者クラブのバルコニーから、さまざまな政治的スローガンをかかげたプラカードを見まわしながら、私は、日本語の極度の混乱を目のあたりに見る思いがした。歴史的概念はゆがめられ、変形され、一つの言葉が正反対の意味を含んでいる。~(中略)~民主主義という言葉は、いまや代議制議会制度そのものから共産主義革命までのすべてを包含している。平和とは時には革命のことであり、自由とは時には反動政治のことである。長崎カステーラの本舗がいくつもあるようなもので、これでは民衆の頭は混乱する。政治が今日ほど日本語の混乱を有効に利用したことはない。私はものを書く人間の現代喫緊(きっきん)の任務は、言葉をそれぞれ本来の古典的歴史的概念へ連れ戻すことだと痛感せずにはいられなかった。 ❞(「一つの政治的意見」)
三島が指摘するとおり、言葉の混乱は政治に利用される。
わが国においては、民主主義と議会主義が混同され、単なる反共主義者や新自由主義者、アメリカかぶれ、国家主義者が「保守」と呼ばれてきた。
言葉のごまかしは全体主義の指標だが、安倍政権下において最終段階を向かえている。
移民は「外国人材」、家族制度の破壊は「女性の活用」、戦争に巻き込まれることは「積極的平和主義」、秩序破壊のための実験は「国家戦略特区」、不平等条約のTPPは「国家百年の計」、南スーダンの戦闘は「衝突」……。議事録も勝手に書き換える。都合の悪いことがあれば、現実のほうを歪めるわけです。
事実そのものが抹消・捏造されるなら、歴史の解釈すら不可能になる。
三島の敵は、まさに「安倍的なもの」だった。(敬称略)
【最新刊『安倍でもわかる保守思想入門』より構成】
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