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大坂夏の陣に由来する「血天井」を持つ寺

季節と時節でつづる戦国おりおり第284回

大坂夏の陣・八尾若江の戦いを歩く②

前回はこちら:大坂夏の陣・八尾若江の戦いを歩く①

 長瀬川を渡り、東へ進みましょう。いかにも昔の町割りらしい狭く曲がりくねった道を進むと、常光寺さんに行き着きます。

 

 このお寺は、藤堂高虎が八尾の戦いを終えた後に方丈の縁で首実検をおこなった場所です。並べられた首の血がついた縁の板は、その後西廊下の天井板に張り替えられたそうで、「血天井」と呼ばれています。

 

 本堂の裏手には、藤堂勢の戦死者71名のお墓が。パノラマ写真で撮らせていただいたので、丸く歪んでいます。お許しのほど。

 この一帯は戦国時代末期まで「八尾城」という平城があったとされ(もっと南だという説もあり)、織田信長に仕えた池田教正が居城としました。大坂の陣からは外れますが、戦国ネタという事でちょっと寄っておきましょう。八尾商店街のアーケードをくぐってすぐです。

八尾神社の境内の「矢尾(八尾)城祉」碑。

 教正はキリシタン武将として知られ、「シメオン」という洗礼名を持ち城下に教会も建立しており、近くには日本最古というキリシタン墓碑も保存されています。その墓碑が造られたのは天正10年(1582)。この年信長は本能寺の変で死去し、教正は秀吉に仕えますが、翌年美濃に転封され、城も廃されたといいます。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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