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杉田玄白もお手上げ!? ~江戸時代に大流行した梅毒~

江戸時代の感染症 ~其の2・梅毒~

  


 新型コロナウイルスが猛威を振るっているが、対抗するワクチンがなく対症療法しかできない現状を鑑みると、人類は新種のウイルスの前では丸裸であるといえよう。だがその対症療法すら満足にできず、いまよりもずっと無防備だった江戸時代、人々はどのようにして流行する感染症と戦ってきたのだろうか。江戸文化研究家の瀧島有氏が解説する。


■長いと数十年にもなる無症状潜伏期間

 今回は当時の名医が「患者の7~8割がこの病だ」と嘆息した、「梅毒」についてです。

 梅毒と聞くと、パッと思い浮かぶのは「性病」の2文字ではないでしょうか。しかし梅毒という病気は性病というよりもれっきとした「感染症」であり、しかも下手すると死に至るのみならず、母から子へと遺伝する場合もある(先天性梅毒)という恐ろしい病気です。うぅ~ん……親の罪が子供にも及んでしまうとは……。

 にもかかわらず性病のイメージがあるのは、感染経路が「それ」だからでしょう。「そういう接触」で触れ合う粘膜や器官などからやってきます。そういう場所の小さな小さな傷口などからスルッと静かに密かに……。

 一向に来てくれなくて構わないんですが、本当にコソッと入ってきて血液内に居座ります。なんかもっと正々堂々と表から来ればいいのに……などと思わなくもないのは私だけでしょうか。だからといって表から来ていいってものではありませんが……。

 それはさておき、この「梅毒の菌=梅毒ポレトネーマ・パリダム」、拡大するとバネみたいに綺麗な螺旋状のウィルスですが、実は自然界では人間の体内でしか生きられず、人間のみに生息する菌です。人間の体外に出たら急死するので、日常生活やトイレ・入浴・物に触るなどで感染することはありません。というより、できないんですね。人間に住んだ途端、急に元気を出して数年~10年もしぶとく生きるのだから、困ったものです。

 いや、10年以上生きるかもしれませんが、肝心のお家たる患者さん(人間)がウィルスの侵食によって10年ぐらいで死去させられてしまうので、住居のほうが先に消滅・滅亡しちゃう。それで住人の細菌もいなくなる、という感じでしょうか。もっとも現在はそこまでの重症にはなりにくく、途中で治癒するのが普通ですが……。

 しかも厚生労働省「梅毒に関するQ&A」によると、感染後、一定の抗体はできるものの、再感染を予防できるわけではないとのこと。つまり「また梅毒に感染しなおし」てしまう。書いていて心中複雑ですが、そういう厄介な細菌が、この「梅毒ポレトネーマ」なのです。

梅毒トレポネーマの電子顕微鏡像(ネガティブ染色)(提供:国立感染症研究所)

  

 では実際にかかるとどういう感じで苦しんでいくのでしょうか?

 効果的な治療方法がなかった江戸時代では、数年~10年ぐらいで死去に至っていました。なぜこんなに長い期間の幅があるかというと、魔の潜伏期間がこれほどの長きにわたる場合があるからなのです。詳しくは後述しますが、「潜伏梅毒」といって、発症後にいったん軽快し、無症状となる期間が数年にわたることがあるからです。

 ここでミソなのが、あくまで軽快するだけで、梅毒トレポネーマが体内からいなくなったワケではなく、居座り続けているということです。こうなるともはや「共存・共生・ある意味では戦友」という感じでしょうか。現代では抗生物質などがあるので重症にはならないのが一般的ですが、江戸時代や戦前は良い薬が無いため、死に至ることも多い恐ろしい感染症でした。

 それでは梅毒の進行具合を詳しく見ていきましょう。先述の厚生労働省「梅毒とは」や国立感染症研究所のHPによれば、およそ次のように分けられます。


 ●第Ⅰ期
感染してから3週間ぐらいの期間。
菌が侵入した部位(陰部、口唇部、口腔内)に塊(硬結)や潰瘍ができます。また、股の付け根の部分のリンパ節が腫れることもあります。
ところがこれらの症状は痛くなくて、無治療でもすぐ消えて潜伏梅毒と化すため「気付かない」場合もある(この「消える」っていうのがなんかイヤですよねぇ。卑怯というか、何というか……)。


 ●第II期
第Ⅰ期後の4~10週間ほど。
第I期の症状がいったん落ち着いたのち4~10週間の潜伏期を経て、菌が血液に乗って全身に巡り、今度は全身にうっすらと赤い発疹ができます。脱毛や発熱、倦怠感などの症状も出ることがあります。
こちらの期間の発疹もまた、治療せずとも消えるので安心しがちですが、実は「抗生物質で治療しない限り、しっかり体内に居座って住んでいる」という、困ったちゃんな菌なのです……。発疹は再発することもあり(その場合は1年以内が多いそう)、しかもこの時期に適切な治療を受けられなかった場合、数年後に複数の臓器の障害につながることがあるとのこと。ひえ~。
もっとも現代では抗生物質や薬などがあるため、この段階で気付いて治療すれば、これ以上ひどくなることはないようです。


 よって、ここから先のステージは戦前までの患者たちの様子になりますので、参考までに書きますが、まぁ、その、なんと言いますか……。うぅ~ん……切ない……。


 ●潜伏梅毒
第Ⅰ期と第II期の間の短い潜伏期間、および第II期後の潜伏期間を指します。
最初の潜伏期間は第II期が始まるまでですので分かりやすいのですが、第II期後の潜伏期間(後期潜伏期間)が厄介で、これこそが数年~数十年もあるのです。


 ですので、江戸時代はここで「治った」と思っていたのですが、それもむべなるかな。


 ●晩期顕症梅毒
長い潜伏期間を挟んで、約30%が晩期顕症梅毒へと発展。再び梅毒が目覚めると、皮膚や筋肉、骨などにゴムのような腫瘍(ゴム腫)が発生。心臓や血管、神経、脳など複数の臓器にも病変が生じ、心血管梅毒や神経梅毒となり、死に至ることも。


 

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瀧島 有

たきしま あり

江戸文化歴史研究家

江戸文化歴史研究家。学校や教科書が教えない、江戸の町の武家・庶民の真実の姿、風俗や文化、食べ物などを研究する傍ら、江戸文化勉強会「平成江戸幕府」を主宰。フェリス女学院大学、内閣府クールジャパン・アドバイザリーボード・メンバーなどを経て、法政大学文学部史学科に在学中。著書に『あり先生の名門中学入試問題から読み解く江戸時代』など。


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