杉田玄白もお手上げ!? ~江戸時代に大流行した梅毒~ |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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杉田玄白もお手上げ!? ~江戸時代に大流行した梅毒~

江戸時代の感染症 ~其の2・梅毒~

■遊女の間では梅毒サバイバーは一種のステイタスだった!?

 さて梅毒には梅毒性脱毛という症状がありまして、これは主に第II期で起こる症状なのですが、江戸時代、吉原などの遊郭ではオソロシイことに、こうなった遊女をこそ「一人前になった」として、給金を上げて遇しました(特に髪が抜け始めると「鳥屋(とや)につく」といったのはある意味言い得て妙で、「髪が抜ける=鷹の羽が生え変わる」ことと掛けたのでした)。

 なぜならその後に来る長い潜伏期間を治ったと勘違いし、「もうかからないから、むしろお客をバシバシとれる」と考えられていたからです(重病人なのにバシバシとれるって……。痩せてきたり顔色悪かったりしてるはずで、明らかに健康とは違うとわかってそうなのに。そこが年季奉公の哀しさよ……)。
お客たちも「それなら自分がかからないからいい」と思い、そういう遊女は人気がでたとか。知らないとは恐ろしいということの典型的な例と言えましょう。

 とはいえ晩期顕症梅毒ともなると、さすがに江戸時代の人達でも「死のほうが近いな」と分かりました。つまり江戸時代の人の感覚だと、

 「治った! もうかからないぞ!」⇒「あぁ、これは……」

 となるのですから、一足飛びに末期になることに「変だな?」などとは思わなかったのでしょうか。

 さて、どうして彼らにも分かったかというと「鼻声」になることが多かったからで、いわゆる「梅毒声」とされるのがこの状態です。晩期顕症梅毒の症状であるゴム腫とは、硬くて大きなしこりのこと。これが体の組織を破壊するため、進行すればするほどひどい鼻声になったようです。

 それで声が変わってくるわけで、やがて「鼻が欠け落ちる」こととなります。
湯治場にもこの鼻声の人はいたもので、『江戸の医療風俗事典』(東京堂出版)によれば『鼻くたの浄瑠璃を聞く草津の湯』という句が残っているほど。これは「鼻声が酷過ぎて、浄瑠璃も聞き取りにくいほどだ」と言っているのです。

 ということは、もはや末期ですから全身が大変な状態になっているのは想像つきますよね。内臓に腫瘍ができたり、『鼻ならまだしも篇乃古落ち』となる人もいました。

 え? 篇乃古(へのこ)って何かって?

 それは江戸時代の隠語で、いわゆる男性器のことです。同じように男性器にもゴム腫ができて、大変なことになってしまうのです。友人(男性)に言ったら「それは男として絶対かかりたくない病気だ!!」と仰け反っていました。

 ここまでくると、長屋の人達なんかはその人に「墨染の衣を着せて、巡礼の旅に出させ」ます。巡礼の旅と言えば聞こえはいいけれど、体のいい追放、追い出しですよね。

 江戸時代、路上での行倒れはわりとありがちなことでしたが、中にはこういう人たちも沢山いたことでしょう。少なくとも墨染めの衣を着た巡礼姿の人を見たら、男女問わず「あ、この人は梅毒なんだな」と分かったはずです。このように長期間をかけ、脳や脊髄、神経などを侵し、やがては死去してしまうのでした。

 

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瀧島 有

たきしま あり

江戸文化歴史研究家

江戸文化歴史研究家。学校や教科書が教えない、江戸の町の武家・庶民の真実の姿、風俗や文化、食べ物などを研究する傍ら、江戸文化勉強会「平成江戸幕府」を主宰。フェリス女学院大学、内閣府クールジャパン・アドバイザリーボード・メンバーなどを経て、法政大学文学部史学科に在学中。著書に『あり先生の名門中学入試問題から読み解く江戸時代』など。


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