日本について猛勉強し、幕府から信頼と「開国」を勝ち取った黒船のトップリーダー・ペリー
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第14回 ~ペリー~
歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)、また歴史上の人物同士の相性を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。
小学生の歴史の教科書にもその名前は登場するものの、その性格はそれほど知られていない。今回は、明治維新の第一歩を作った、黒船のトップリーダー、ペリーを鑑定する。
マシュー・カルブレイス・ペリー:(1794-1858)
生年月日:1794年4月10日
それでは、上の命式表を見ながら鑑定していく。
○日柱の干支(かんし):「戊戌」(つちのえいぬ)
これは「秋」の「山」を表す。「山」は動くことがないように、物事に動じず悠然な態度が取れる。どっしりしているイメージなので、俊敏さには欠け、納得しなければなかなか動かない。動き回るのが好きでないため、どっしりした体型の人が多いのも「戊」の特徴。いつも大声で部下に指示や命令を出していたというペリー。大きな体で大声を出すために、付いたあだ名は「熊おやじ」だったとか。
なお、「戊戌」は、異常干支。「普通の教育では異常性を出す。学歴よりも実践を重んじて、専門分野を極めることで良くなる。」とのことであるが、商船の船長や積荷監督官として船に乗っていた父クリストファー、そして、海軍に入った9歳上の兄、オリバーに魅せられ、ペリーは14歳9か月で迷わず、海軍士官候補生になっている。海軍の学科は、操帆方法、砲術、航海術等、実践がほとんどで、自然と専門分野を極めるに至った。普通に大学に通うのではなく、海軍という道を選んだことが彼にとって絶妙な選択だったのだろう。
同様に「戊戌」を持つ有名人として、オダギリジョーや松たか子、三島由紀夫等がいる。
続いて、通変星、蔵干通変星、十二運星から、性格を鑑定する。
○主星「正官(せいかん)」
真面目、几帳面で責任感が強く、プライドが高い星。名誉・名声を望み、見返りを期待せず、世の中の為に事を為そうという心意気を持っている。
海軍という安定した組織の中で、のし上がって行こうとするペリーは、まさに「正官」そのもの。真面目な性格であったことも伝わっており、海軍士官候補生時代、ペリーは与えられた任務を沈着な態度で忠実に行い、仲間からの人望も厚かったという。
○自星「傷官(しょうかん)」
感情の起伏が激しく傷つきやすい面があるが、交渉能力が高く頭のいい星。芸術に長けている星でもある。
日本に開国を申し込んだのは、ペリーが初めてではない。当時、アヘン戦争により、清がイギリスの植民地になり、日本にも欧米の艦船が幾度か来航した。1846年にはイギリスとフランスの軍艦が琉球へ、その後アメリカ艦隊司令官・ビッドルが浦賀に来航し通商を求め、失敗に終わっている。そんな中、江戸湾にやって来て開国を要求するペリーに対し、当然幕府は突っぱねようと、長崎にて会談に応じる旨を示した。しかし、事前に日本を勉強し日本人へのマニュアルを作成していたペリーはこれを拒否。様々な手を使って交渉に臨んだ。(具体的にはこの後に記す。)最終的に、日本の鎖国という重い扉を開くに至ったこと、これはまさにペリーの交渉能力、作戦勝ちと言えよう。