「中国学」の泰斗、京大名誉教授・小島祐馬没後50周年記念。幻の名著が「呉智英解説」付で堂々復刊!
混迷する現代社会を読み解き、「人間とは何か」を知る最高の入門書
京大名誉教授で「中国学」の泰斗、小島祐馬没後50周年記念
小島の代表的著作である〝幻の名著〟が呉智英解説付で甦る!
現代に脈々と生き続ける思想の源流に遡り、
混迷する現代社会を読み解く手掛かり――――
中国思想を通して「人間とは何か」「社会とは何か」
を知るための「最高の入門書」が、
4月25日に全国書店、アマゾンにて発売!
「世界の蝶番が外れてしまっている。以前には想像できない〝とんでもない出来事〟が起こる。9・11、気候変動、フクシマ、金融危機、スノーデン、トランプ……。資本主義の大成功による副次的効果の蓄積が旧来の通年では理解不能なものに世界を変えてしまった。もはや世界ではなく、変態が起こっている――」
こう語ったのは『変態する世界』を著したドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック。
いま私たちを取り囲む世界はまさに混迷を極めている。
「この世界はどこへ向かっているのか?」
「人間はどこへ行こうとしているのか?」
中国学の大家・小島祐馬は代表作『中国思想史』のなかで、古来中国の「人間と社会の関係」を通して「人間の思考の原型」について深く洞察してきた。
そしてその「思考の原型」はもちろん現代の私たちのなかでも生き続けているものである。
私たちを取り巻く環境は発展しているかもしれないが、人間そのものは何も変わっていないのだから。
いまこそ現代に生き続ける思想の源流に遡ることで、混迷する現代を読み解き、それでも生き抜くヒントを見つけたい。
幻の名著として名高い小島祐馬の『中国思想史』が今こそ甦る意味は、そこにある。
評論家の呉智英氏が本書の冒頭解説で語った『中国思想史』の魅力を、一部抜粋し伝えたい。
〈「解説 概説書の名著」より抜粋〉
私は本書『中国思想史』によって概説書の名著というものがあると知った。一九八五年頃のことで、私は三十代の終わりであった。
行きつけの図書館の開架式書棚に本書を見かけ、手に取ってはみたものの、『中国思想史』というごく当り前の書名が魅力に欠けるように思えたし、A五判という大判にもかかわらず活字も大きめで文字数も少なく、読むほどのこともあるまいと、たかをくくっていた。浅慮としか言いようがない。
それでも、書棚にあった本書が目についたのは、同じ小島祐馬の『中国の革命思想』(一九六七年、筑摩叢書版)、『中国の社会思想』(一九六七年、筑摩書房)は読んでいたからである。この二冊は「革命」「社会」に力点が感じられて一読し、その学識の深さに感銘を覚えた。
(中略)
先に本書が概説書の名著であると述べた。人はややもすると概説書を軽く見がちだし、軽く見られるのも当然なような概説書がほとんどである。しかし、本書は本当に名著である。そして、このことは、混迷する知の状況への問いかけをも意味している。
ほんの二、三十ページも読めば分かる通り、本書は内容の水準を少しも落としていない。極めて高度でありながら煩雑ではない。読む者に迎合しておらず、といって初学者を眼中に入れていないわけではない。まことにバランスがよい。
これは本書の成立にかかわる。「あとがき」にあるように、小島祐馬が還暦を迎えて京都大学を定年退官するに際し、小島のそれまでの講義を高弟である研究者たちがまとめたものである。もちろん、世に横行する安易な口述筆記などとは違い、小島自身それに存分に手を入れたし、中心になった二人の高弟森三樹三郎、平岡武夫もまた一流の研究者であった。本書はいわば、小島が高弟を相手にしたゼミに、読者が臨席するようなものである。小島の学識を高弟たちが理解し吸収する過程を、読者も味わうことができる。こういう学問の教授・教育がありうるし、またそれを執筆者、出版人は学ばなければなるまい。
(中略)
碩学の著で支那思想を通覧することによって、個々の事実以上のものが見えてくる。概説著の名著と呼ぶにふさわしいと思う。
(以上、呉智英・解説より抜粋)
以下、小島祐馬『中国思想史』の目次構成です。
目 次
解 説 概説書の名著 呉智英
前期
序 説 中国思想史の意義ならびにその研究資料
第一章 中国古来の社会状態の変遷
第二章 原始儒家思想
第一節 孔 子
第二節 孟 子
第三節 荀 子
第三章 原始儒家に対立せし諸家の思想
第一節 墨 家
第二節 農 家
第三節 道 家
第一項 老子
第二項 荘子
第三項 列子 楊子
第四節 法 家
第四章 第二次の儒家思想
第一節 易
第二節 五 行
第三節 春 秋
第五章 司馬遷の思想
第六章 前漢の思想統一
後期
序 言
第一章 後漢以後の社会と士人階級
第二章 後漢の経学と鄭玄
第三章 王充その他の後漢時代の思想家
第四章 魏晋南北朝時代の経学
第五章 仏教の伝来と道教の出現
第六章 魏晋南北朝時代における高踏的無政府思想
第七章 唐代における思想統一とその反動
第八章 宋初の自由討究
第九章 北宋五子
第十章 朱子の集大成
あとがき
著者略歴
小島祐馬(おじま・すけま)
一八八一年、高知県吾川郡春野町(現・高知市)に生まれる。旧制第五高等学校(熊本)から京都帝国大学法科大学、同文科大学哲学科を卒業。中学校の教師から同志社大学法学部教授、京都大学文学部教授を歴任。京大総長就任も待望されたが定年退官を機に、生まれ故郷の土佐に戻り老父を養いながら晴耕雨読の隠棲生活をおくる。終戦後間もないころ、吉田茂首相の意を受けた文部次官に文部大臣就任を請われるも「わしは、麦を作らんならん。そんな事をしているひまは、無い」の一言で断る。痛快で剛毅な小島祐馬は、多くの俊才を育て一九六六年に八十五歳の生涯を閉じた。中国思想研究者、森三樹三郎、平岡武夫が高弟にいる。自宅を埋め尽くすほどの万巻の蔵書は、高知大学に寄贈され「小島文庫」として遺されている。主著『古代中国研究』、『中国の革命思想』、『中国の社会思想』(以上筑摩書房)、『中江兆民』(弘文堂アテネ文庫)など。