自転車乗り入れ禁止で苦い思いをした“あの城”
外川淳の「城の搦め手」第10回
10年ほど前の晩秋のころ、私は大洲城でえがたい体験をした。これから、感情をまじえず、淡々とどのようなことがあったかを紹介したい。
ちょっとした坂を上り切り、折りたたみ自転車を天守の横にとめたところ、同じように自転車を移動手段とする初老の夫婦といっしょになった(城巡りの際折りたたみ自転車は大変便利だが、その活用法については、別の機会に紹介します)。すると、館員が現れ、周辺は自転車乗り入れ禁止だから下の駐輪場に引き返すように指示した。
駐輪場までは坂道であり、それなりの体力が必要となる。私が「自転車乗り入れ禁止は、子どもが遊ぶと危険だからであり、規則を厳密に適用すべきではない」と、おだやかな口調で説得しても聞く耳をもたない。
そして、「規則を守らなければ、私がくびになる」と泣き落としにかかり、ついには、「自転車をここに置いたままでは、入場券は売らない」という脅しにでた。それまで、共同戦線を張っていた夫婦は堪忍袋の緒が切れ、「それなら見学はしない」といい捨て、自転車で去っていった。
私も立ち去ろうとしたものの、冷静に考えると、このときの取材は出版社から取材費が出ていたため、天守内部に入らないわけにもいかず、指示通りに自転車を駐輪場に下ろしてから、坂道を徒歩で登り、入場券を購入した。
大洲城天守は、明治初期に撮影された古写真、建設時に作られた木製の雛型に加え、天守台の礎石の配置を調査。その成果をデータとして設計され、在来工法を利用して再建された。
元々、私自身、天守の復元には批判的であるのに加え、このような事態に遭遇すれば、大洲城によい印象が残るはずもない。ただ、おもしろい話を仕入れられたともいえ、帰還してからは、出版関係の知人や、主催する歴史探偵倶楽部の方などに話したところ、なかなか、うける話題だった。また、愛媛県関係の城郭研究者にも披露すると、それから、地方自治体の持つさまざまな問題にまで発展し、意義のある時間を過ごすことができた。
そして、今では、大洲城での出来事は、旅の思い出の一つとなっている。