城を壊すこともある「怖い樹木の話」
外川淳の「城の搦め手」第11回
城というと、緑に囲まれた空間というイメージがある。だが、戦国時代の山城であれば、樹木は伐採され、城として現役だったころ、はげ山に等しい状態だった。江戸時代の城もまた、多種類の樹木が生い茂るようになったのは、城としての役割を終えた維新後のことだった。城としての過去を物語る貴重な歴史的遺産といえる
ただ、樹木が生存と成長のために張り巡らす根は、石垣や土塁を突き崩す原因となりかねない。
小田原城攻めのために築かれた石垣山城には、往時の石垣が伝わる。この写真からは、樹木の根が石垣を崩す要素になることが理解できるだろう。城が都市の中心部における公園としての役割を担うと、土塁や石垣の上にも植樹される傾向が強かった。現在では、弘前城や高遠城は桜の名所として知られるが、日本の城に桜の木が大量に植えられるようになったのは明治維新後のことだった。
かつて、熊本城において、石垣上の樹木を伐採すると、自然保護団体による反対運動が起きたという。樹木を守るのか、歴史遺産である石垣を保存するのかについて、考え方の相違があって当然かもしれない。
ただ、いかなる樹木を伐採することも許さないという自然保護の方向性は見直されるべきだと思う。
6年ほど前、小田原城では、御用米曲輪をはじめ、城内の整備を進行させた。その際、土塁の保護や、城内の景観復元のため、城内の樹木を伐採しようとしたところ、市民の反発を受け、メディアでも伐採反対の視点から報道された。
私のように城を中心とした立場からすると、樹木の伐採は、城の保存のためには当然と考える。城を守るか、自然を守るのかの二者択一ではなく、双方が納得できる方法が導きだされることを願っている。