戦国武将の隠し湯は本当に効能があるのか?
『歴史人』5月号発売中!「戦国武将と温泉の関係」
戦国時代、合戦どの怪我や病気などを直すために、武将は温泉を利用した。「歴史人」5月号において、歴史研究家の渡邊大門氏が「戦国武将と温泉」との関係を解説している。
「戦国武将と温泉は、意外に関係が深いといえる。第一に、今のような家庭用の風呂が普及していない戦国時代において、温泉は24時間利用できる貴重な存在であった。また、戦乱の絶えない時代にあって、合戦における怪我などを治癒するには、温泉の成分が効いたという。それは、現代人が病気や怪我を治すため、湯治に行くのと同じである。
上杉謙信と生地温泉(富山県黒部市)のエピソードもよく知られている。あるとき謙信が越中に進軍すると、急に脚気となり生命の危機に陥った。家臣たちが新治神社に平癒の祈願をすると、謙信の枕元に老人があらわれ「白い鳩が杖にとまったとき、その杖の下を掘るとお湯が湧き、そのお湯に浸かると病気が治る」とお告げをしたという。謙信はそのとおりお湯に浸かると、病は治ったと伝わっている。温泉の効能を謳った逸話になろう。
島津義弘と吉田温泉(宮崎県えびの市)とのかかわりも有名である。
天文23年(1554)、霧島山が突如として噴火し、昌明寺地区にお湯が沸きだした。これが吉田温泉のはじまりであるが、最初は鹿が傷を癒しており、「鹿の湯」と称されていた。お湯が万病に効くと噂を聞いた島津義弘は湯治用の施設を造営し、入浴するようになった。さらに合戦で怪我をした兵らを入浴させるため、湯屋を増改築した。さらに管理規則を制定し、湯守を置いた。そして、湯権現社を建立したのである。
織田信長と下呂温泉(岐阜県下呂市)とのかかわりは、『羽渕家家系図』という系譜に残っている。天正6年(1578)春、当時、飛騨をほぼ制圧下に置いた信長は、下呂温泉に湯治に出掛けたという。戦いの連続である信長の安らぎの時間であった。温泉の逸話が少ない信長にとっては、貴重な例である。
下部温泉(山梨県身延町)は、武田信玄(晴信)の父・信虎の代から「隠し湯」として知られている。川中島の合戦後、信玄や配下の者は、温泉に浸かって疲労回復に努めた」
隠し湯を武将が訪れたというエピソードは、日本中に点在しているようだ。
(「歴史人」5月号 「全国 戦国武将の隠し湯」より構成)