作詞・柳美里、作曲・長渕剛。奇跡の校歌を生んだ「一通の手紙」
芥川賞作家・柳美里が長渕剛とともに歩んだ「校歌プロジェクト」
お金ではない魂を動かす仕事
2017年春に旧「警戒区域」で初めて再開することになる学校(小高工業高校と小高商業高校が統合する)「福島県立小高産業技術高等学校」の校歌の作詞のご依頼をいただき、謹んでお受けすることにしました。
作曲者の選定を含めて、校歌作成に関する全てを柳美里に一任するという内容でした。
わたしは、作曲を長渕剛さんに依頼することに決め、お手紙を書きました。
長渕さんとは2015年10月に『文藝別冊 長渕剛~民衆の怒りと祈りの歌~』(河出書房新社)で対談をしていたのです。
長渕さんは原発事故後に、浪江町を歩いて「カモメ」(アルバム『Stay Alive』収録)という歌を作っています。
「ふたりとひとり」の出演者である南相馬の方が、長渕剛さんの代表曲である「とんぼ」や「乾杯」をリクエスト曲として挙げることが多かったということもあります。長渕剛ファンは、10代から70代までと非常に幅広いのです。
わたし自身、10代半ばの頃から長渕剛さんのファンで、日本武道館のライブにも行ったことがあります。
南相馬に転居してからも、カーステレオでよく長渕剛さんの歌を聴いています。
特に「ひまわり」が流れると、泣けてきます。「ひまわり」は風と土の歌です。風は土を信じてひまわりの種を運び、土は風を信じてひまわりの種を待つ、という信頼の歌です。
原発事故によって、風は放射性物質を運び、土を汚染してしまった。風と土の信頼が損なわれた風景の中で「ひまわり」を聴くと胸に堪えます。
飯舘村では、除染が終わった田んぼにひまわりが咲きます。原発事故以降、全く作付けできなかったことから、土地が痩せてしまったのです。地元農家の方々が、花を咲き終えたひまわりと一緒に土地を耕すことで土の養分を取り戻そうと考え、ひまわりの種を蒔いたのです。
長渕剛さんの「ひまわりはやがて土に抱かれ眠る」という歌詞は、別の意味を持って胸に響きます。
「乾杯」や「HOLD YOUR LAST CHANCE」や「Myself」などはメロディが美しく普遍的で、世代を超えて歌い継がれる校歌に通じるものがあると思いました。
長渕剛さんはデビューから40年間、一線に立ち続けているミュージシャンです。
お忙しい方ですし、十分な報酬もお支払いできません。わたしとしては駄目元で、しかし誠心誠意のお手紙を書いて送ったのです。
長渕さんが引き受けてくだされば、生徒たち、保護者たち、先生方、小高に帰って生活をしている1200人の住民の方々、小高に帰ることができず別の場所で避難生活を続けている1万1000人の住民の方々を、励まし、慰め、勇気づけることができるのではないか―、という一念でお手紙を書きました。
その日は偶然、長渕剛さんの60歳のお誕生日でした。
2016年9月7日です。
そして、長渕さんは引き受けてくださった。曲を作る前に、わたしが詞に書いた場所を見て、歩いて、感じたいとおっしゃり、10月11日に井戸川義英先生と共に小高区をご案内し、小高工業高校、小高商業高校の本校舎と、現在生徒たちが学んでいる仮設校舎にも行きました。
長渕剛さんがオフィシャルサイトに発表した談話を引用します。
「2016年11月29日、福島県知事 内堀雅雄氏の発表の通り、現在の小高工業高校、小高商業高校が統合し、福島県立小高産業技術高等学校が福島県南相馬市に開校致します。
この高等学校の開校にあたり、南相馬市に在住の作家 柳美里氏より、依頼を受け、作詞 柳美里氏:作曲 長渕剛として新校歌を作曲する事となりました。
今後、何十年何百年と… 何千人何万人と… 唄い継がれていくであろう、小高産業技術高等学校の校歌を、福島南相馬の復興の足がかりとなるべく、柳美里氏の渾身の歌詞に乗せて、現在作曲活動に邁進しています」
長渕剛さんも「お金」ではないものに魂を動かされて、校歌の「仕事」を受けてくださったのです。
【『人生にはやらなくていいことがある』より構成】