大統領選で見せたヒラリー氏のフェアプレイ
グローバリズムの終焉Ⅰ日本が“真”の独立をするときが来た①
アメリカ政治のフェアプレイ精神
今考えると、日本時間で2016年11月9日(アメリカ時間では11月8日ですが)は、歴史に残る日になったと思います。その日、アメリカ大統領選挙でドナルド・トランプ氏が勝利しました。しかも快勝でした。ある意味でアメリカにはまだ健全な精神が残っているのを感じました。それは、アメリカでは敗北宣言をするという慣習がまだあったということです。
2000年の大統領選挙では、アル・ゴア民主党候補がフロリダの票の数え方に問題があったと言って、敗北宣言を出しませんでした。それでなかなか決まらなかったことがあります。
極論すれば、アメリカでは「当確」が出ようが出まいが、どちらかの候補が敗北宣言をしたら、それで大統領は決まるのです。
私は「すでに結果は出ているのに、なぜメディアは当確を出さないのか」と思いながらCNNテレビの中継を見ていましたが、あとでその理由がわかりました。つまり、ヒラリー・クリントン候補が当確の出る前に敗北を宣言する(つまり、トランプ候補に電話をかけて祝福するという)「儀式」が残っていたわけです。
ヒラリー候補はもう負けは覚悟していたのですが、当確が出てから「負けました」と言ったのでは儀式にならない。だから政治家としての最後の矜持だったと思います。プライドだったと思います。それを与える時間だったのではないかと、私は好意的に解釈しています。
そのうち、ヒラリー候補がトランプ候補に祝福の電話をかけたという速報が流れました。さすがにヒラリー候補も支持者の前では敗北宣言はできなかったのでしょう。側近が民主党の支持者に対して、「今日はもうお帰りください」と言って帰らせたそうです。それが事実上の敗北宣言でした。本来なら、そこに出てきて敗北宣言するほうがもっと潔かったと思いますが、さすがにそこまではできなかったのかもしれません。
いずれにしてもヒラリー氏が敗北宣言をした段階で、トランプ氏の勝利が事実上確定したわけですが、私はアメリカ政治の、ひとつの「フェアプレイ」を見た気がいたしました。
今までの2人の中傷合戦というのは、とてもフェアプレイとは縁遠いものでしたから。最後の最後で、何とかフェアプレイで終わらせたということが、アメリカの今後にいい影響を与えることになるのではないかという感想を私は持ちました。
〈『グローバリズムの終焉「日本再発見」講座Ⅱ』より構成〉