ドイツ人禅僧は「年齢」をこう考える。「秋に葉が枯れて落ちることは、木にとって大事なこと」
今日を死ぬことで、明日を生きる⑤
日本仏教に魅せられたドイツ人禅僧、ネルケ無方の新刊『今日を死ぬことで、明日を生きる』より、珠玉のエッセイを紹介。生きるヒントが必ず見つかります。
老いて死ぬことも、仕事のひとつ
年をとることが悪いことのように思われがちですが、そう悪いことばかりではありません。
確かに、力士も30歳を超えると、たとえ横綱でも勝つことがしんどくなります。
他のスポーツ選手も国の代表として活躍するのは、35歳くらいまでで、それ以上はもう務まらなくなってきます。
いつまでも、若い人と同じようなことを期待してもそれは無理なことです。
しかし、年をとってからできることがあります。スポーツで言えば、監督やコーチ、親方になることです。それは若い人にできることではありません。なぜなら馬力があっても経験がないからです。35〜40歳になってくると馬力は落ちてきますが、経験値が上がりますので人の指導ができます。
60歳を超えると、さらに馬力が落ちてきますが、35 〜40歳の人にできないことができるようになってきます。
人生経験を重ね、人を受け入れる懐の広さがより身についてきますので、それを活かせばいいのです。
「若いときにできたことができなくなった」ということは、「若いときにできなかったことができるようになった」ということも意味しています。
以前、「老人力」という言葉が流行りましたが、年をとったこともひとつの能力だと思えばいいのです。
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老いて死ぬことも、仕事のひとつです。
秋に葉が枯れて落ちることは、木にとって大事なこと。枯葉が落ちてくれなければ、木は死んでしまいます。枯葉が落ちてくれるから、新しい芽が春に生えてくるのです。
ですから、老いて死ぬことだけでも、世の役に立つのです。「無理に長生きしよう」「いつまでも若くいたい」というのは、外見だけがピカピカで、中身のない野菜や果物のようなものです。
外見がきれいでも、本来の味がしない大根やみかんもあります。外見だけを求め、土の中や木の上で熟す前に収穫されてしまうから味が出ないのです。
人間もそうなっているかもしれません。いくら外見がきれいで若々しくとも、中身が熟してないという人もいるでしょう。
人は誰しも、年をとれば熟して、やがて枯れて死ぬもの。それでいいのです。
そして死ぬことさえも、
世の中のためになる。
『今日を死ぬことで、明日を生きる』より 明日は『人は毎日、死ぬ練習をしている』⑥です。