死を賭して若き信長に仕えた老臣・平手政秀の生き様
第二十一回 SAMURAIファイル 平手政秀
日本が誇る錚々たる戦国武将たちの魅力。
外国人の目に我が国の英雄たちはどう映っているのか
殿にお仕えし、命をかけて、そのお役目を果たす。それは決して、容易なことではない。
織田家の家臣であった平手政秀も、そんなSAMURAIの一人だった。
茶道や和歌をたしなむ文化人でもあり、織田信秀の重臣として外交でも手腕を発揮。信秀に長男が誕生すると、政秀は、その息子に仕えた。それが、うつけ者で有名なアノ織田信長だ!
礼儀知らずで、生意気で、人の言うことをまったくきかない困った青年、
信長の養育係として、元服や初陣にも立ち会った政秀。織田家と不仲だった
斎藤道三の娘、濃姫と信長の婚儀も整えた。どんなに言うことを聞かなくても、政秀は諦めず彼に言って聞かせた。信長の父・信秀が亡くなったことをきっかけに少しは態度があらたまるかと思われた信長だったが、葬儀にだらしのない格好で登場した上、仏前に抹香を投げつける始末。
政秀の努力もむなしく信長の態度は、まったく変わる気配はナシ!これじゃぁ、本当にむくわれない…。
また、こんなエピソードもある。
信長が政秀の長男・五郎右衛門に言った。「おまえの馬が欲しい」それを聞いた五郎右衛門は「私もSAMURAIなので、この馬はあげられません」と答えた。
この言葉と態度に恨みをもった信長。それ以来、信長と平手家の関係はギクシャクしてしまったらしい。
そんな中、政秀が突然、自害…。さすがにこのときばかりは信長も、ショックだったろう。
態度の変わらない信長をいさめるため、平手家に対する信長の怒りをしずめるためだったとも言われているが、政秀の本心は…ナゾである。
政秀の死後、信長は彼のために政秀寺(清洲越しを機に名古屋市中区に移転)を建てた。
そして、鷹狩りに出かけると獲物の肉を「政秀、これを食え!」と天に向かって投げた。そんなエピソードも残っている。
どんなに悪態をついても、自分と必死に向き合ってくれた政秀のこと、信長は大好きだったんだね。
殿にお仕えし、命をかけて、そのお役目を果たす。平手政秀は、それを貫き通した立派なSAMURAIだ。
- 1
- 2