「憲法9条を“守らせる”ぞ!」と言えば改憲派の自民党議員はハッとする
白熱講義! 憲法改正②
憲法を「守る」のは誰か
国家権力は憲法に制定された枠組みの中でしか動くことができない。首相は大統領にはなれないし、立法は立法府にしかできない。行政府は行政権、司法府は司法権しか持ちえないのだ。いわゆる三権分立である。これを超えることはいかなる立場であっても許されない。
仮に国家権力が誤作動して権力を濫用した場合には、「人権侵害だ! 憲法違反だ!」として国民が権力をはねつけることができる。
つまり、憲法とは、「主権者・国民が、国家の権力濫用を防ぎ、国家に正しく権力を行使させるための法」である。「国家が国民を管理するための法律」(他の五法やその他の法律)とは機能が異なるのだ。
だから、先の例で言えば、「国家権力に憲法9条を守らせるぞ!」と言わなければいけない。公務員でもない民間の労働者の集団が「憲法を守るぞ!」と言っているのは、憲法学者としておかしいと感じる。
もちろん、彼らが言わんとするところは、「政治家たちが9条を改正しようとする動きをしているので、それを阻止する。今のままの憲法(条文)を改正させずに、守る(擁護する)」という文脈であろう。
しかし、その言葉を日常的に、無自覚に使っているとだんだん狂ってくる。声を上げている本人はもちろん、興味があるなしに関わらず「憲法9条を守るぞ!」と耳にした人は、「憲法は国民が守る(遵守する)もの」と刷り込まれてしまう。やはり、どんな文脈でも「(国家権力に)憲法を守らせるぞ!」と言わないと、権力者と大衆の位置関係がわからなくなってくる。「憲法を守るぞ!」と叫ぶ集団に、権力者はなんの脅威も感じないはずだ。改憲派の自民党議員も「はい、はい、国民のみなさん、一生懸命憲法を守ってくださいね」と余裕の対応だ。
これが、「憲法を守る(遵守する)のはお前たちだ! 政治家に憲法を守らせるぞ(遵守させるぞ)!」と叫ぶ集団であるならば、改憲派の自民党議員は「えっ! 俺たちの改正案って本当に大丈夫かな……?」となる。
本質をつく言葉には迫力がある。「守る」と「守らせる」は、大きな差なのだ。