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国会議事堂は「東京城」なのか!?

外川淳の「城の搦め手」第13回

 かつて、名古屋を拠点とするアイドルグループのメンバーが国会議事堂を見て一言。
「あれって東京城だよね?」
 この迷言は、アイドルのとぼけた雰囲気を笑い飛ばすエピソードとして紹介された。

 だが、別の見方をすると、名古屋人の名古屋城への深い思いを感じ取ることもできる。かつて城下町の中心には城があり、天守が殿様の権威のシンボルとして聳えていた。
 多くの城からは天守がなくなり、または復元されたとしても、大垣城のように周囲を高層建築に囲まれ、目立たずにシンボルとしての役割を喪失した城も多い。このように城や天守を取り巻く環境が悪化するなか、名古屋城は、町の中心に位置し、大きくて昔風の建物として市民に愛され続けているのだ。名古屋市が、約500億円とも試算されている木造での天守再建を目指しているのも、その「市民愛」があったればこそ、とも考えられる。

 そんな名古屋人から見て、首都東京において町の中心に位置し、大きくて昔風の建物のなかで名古屋城に該当するのは、国会議事堂なのだろう。
 国会議事堂は、石垣や水堀によって防御されておらず、城の定義が頭に入っていれば、勘違いすることはない。
 また、江戸城のことを東京城と改称したという歴史的事実はあるものの、東京の中心に存在する城は江戸城という知識があればやはり勘違いすることはない。

 江戸城には、富士見櫓や伏見櫓をはじめ、現存建築は存在するものの、名古屋城ほどのインパクトはないため、江戸城の堀の近くを通過する機会があっても、それと気付かなかったのかもしれない。
 “東京城”こと、国会議事堂の写真を掲載しようとパソコン内部を検索したところ、存在せず。ということで、東京城ならぬ江戸城の現状写真を掲載。

江戸城富士見櫓

 弘前城の現存天守に匹敵する規模を誇るが、なぜか、地味な存在。

 第7回に続き、年甲斐のない趣味と城の話を強引に融合させて、すいませんでした。

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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