官位は武士から農民、職人にいたるまでみんなの憧れだった
ニャンと室町時代に行ってみた 第4回
○○衛門、○○兵衛は官位が関係してる?
中世になると、朝廷の官位は一般民衆にとっても無関係ではなくなります。村落においても、「権守」「大夫」「衛門」「兵衛」など朝廷の官位を模した名前つけが行われるようになるのです。権守は国司、衛門・兵衛は内裏を守る武官、大夫は五位以上の官人を指す呼称でしたが、これを勝手に拝借して、武士のように橋本右衛門尉、野田権守などと名乗るのです。これらも「官途」と呼ばれ、各村々において責任ある年齢に達した人、鎮守の造営のための寄付を行った人などに対して、村の合議を経て与えられたといいます。
官途の名乗りを許されることを「官途成(かんとなり)」といい、村落において一人前の社会人として認められることを意味していました。江戸時代の農民や商人の名に○○衛門、○○兵衛というのをよく目にしますが、これらは中世の官途成に由来するといわれています。
江戸時代になると、職人の間にも受領名を名乗ることが流行します。これらは「職人受領」と呼ばれ、朝廷や門跡寺院(皇族や上流貴族が住職を務める格式の高い寺院)などの許可が必要でした。しかし、次第に個々の職人が勝手に世襲して看板に掲げるケースが増えていき、18世紀半ばには、朝廷が幕府に取り締まりを要請する事態に発展します。幕府が江戸や京、大坂の職人を調査したところ、勅許を受けている人は1割弱に過ぎず、以後は金品を献上して、正式に朝廷の勅許を得るケースが増えたということです。
<『おかしな猫がご案内 ニャンと室町時代に行ってみた』コラムより>
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