京王線の知られざる旧線(新宿~幡ヶ谷)【前編】
ぶらり大人の廃線旅 第17回
これも幡ヶ谷と代々木の合成-幡代
初台駅の先にも緑道化した廃線跡は続いている。昭和39年(1964)に地下化されたのは初台駅の少し先までなので、昭和53年(1978)に京王新線が開通した後までしばらくこの先は地上を走っていた。初台から歩いて間もなく幡代(はたしろ)小学校の脇を通るが、「明治15年創立」という看板も掲げられた伝統校である。町村制施行以前なのでまだ代々木村と幡ヶ谷村は合併していないが、両村が共同で設立した学校なので後の「代々幡」とは逆順の「幡代」となった。この学校の前には幡代小学校前という停留場も設置されたが(廃止時不明)、とにかく当時の京王線の停留場間隔は路面電車やバス並みに短かった。
幡代小学校の少し西側には大正2年(1913)の開業時に代々幡停留場が設置されたが、東京市渋谷区に入った2年後の昭和9年(1934)に幡ヶ谷本町と改称、同12年に幡代と再度改称されている。終戦直前の昭和20年(1945)7月に廃止されたが、今も甲州街道には幡代バス停が現存。改称の履歴も複雑だ。
長らく並走してきた玉川上水が南ヘ大きく迂回するところで、線路跡はそちらと袂を分かって甲州街道に近いルートをたどり、間もなく幡ヶ谷駅に着く。京王新線の上下線の上を通るためにひと足先に地上に出てきた京王線の上り線がまず現われ、少し先でその下り線と京王新線が3本まとめて地上に出ると高架へ駆け上り、そのまま笹塚駅へ入っていく。昔の小さな駅に比べると、この駅も巨大になったものだ。