部活動に「達成感」はいらない――“ブラック部活”問題の根本にあるもの
【コラム】2020年からの学校と教師②
◆「達成感」という価値観を持ち込むから、「学問」ができない
なぜ部活動では、「学問」が重要視されていないのか。それは、代わりに「努力」と「達成感」が重視されているからなのではと、私は思います。
その雰囲気を作り出しているのは、いわゆる「部活派」などと呼ばれる教師たちでしょう。部活動でひたすらに努力をして、その結果何か(大会での勝利など)を達成することこそ、生徒の成長につながると思っている人たちです。
彼らの非常にまずいところは、旧来の偏差値主義的な考え方を持ち込んでいるところです。「合格」や「点数」を獲得するために、ただひたすらに努力をすれば、結果的に達成感に結び付くという、かつての受験と同じ図式を部活動にも当てはめている。
しかし多くの方がすでに知っている通り、受験は変わります。2020年に大学入試センター試験が廃止されることに象徴されている通り、大学入試、そして高校入試についても今後、思考力や個々人の考え方が問われる新しい形のテストへと移行することが予想されます。「知識の習得」よりも「知識の応用」をこそ問われる時代がもうすぐやって来る。つまり、単純に得点を取るための努力(知識の習得)だけをすれば、必ず達成感(合格)を得られるという考え方は、もう古いのです。部活動にも同じことが言えるのではないでしょうか。
もちろん、努力が無駄とは言いませんし、勝利や結果を一つのモチベーションにすること自体は、決して悪いことではありません。しかしながら、教師が「達成感」第一主義を掲げて推進してしまうのはまずい。時代にそぐわないですし、強烈なエゴを感じます。勝利や結果を求めるにしても、まずはそこまでの過程や、自分自身について常に顧みることの方がずっと大事ですし、そういった「学問」の作業こそが部活を引退したあとも生徒の身になるのではないでしょうか。
最後に、誤解を招かないように補足をすると、上記のような部活動に対する取り組みは、あくまで教師に無理のない範囲で行われる必要があると私は感じています。
近ごろ頻繁に取りざたされる部活動の時間の長さは、教師にとって明らかな負担となっています。このまま教師にとっての荷重になるばかりならば、部活動の廃止も視野に入れざるを得ないかもしれません。
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