史跡の区別「国指定」「都道府県指定」「市区村長指定」、何がどう違うのか?
外川淳の「城の搦め手」第15回
先日、公益財団法人日本城郭協会が定めた「続日本100名城」に選出された伊予の河後森(かごもり)城。河後森城の歴史については松野町公式ホームページをを参照されたい。
河後森城は、国指定史跡に「昇格」するのと並行し、発掘調査とともに整備事業が進行している。そのため、ほかの戦国時代の山城であれば、樹木にさえぎれて判別がしにくいスペースも、樹木が伐採され、探査がしやすくなっている。また、発掘調査ずみのエリアには案内板が設置され、その成果が写真や図版入りで解説されている。
出土した石垣の近くには案内板が設置される。
戦国時代の城が国指定史跡に昇格するとともに、発掘と整備が並行して進展する例としては、同じ愛媛県の湯築城をはじめ、鳥越城(石川県)・小倉山城(広島県)・都於郡城(宮崎県)・知覧城(鹿児島県)などがある。これらの城では、河後森城のように案内板などが設置されるとともに、門や厩などの建物が推定復元される傾向が強い。
20年ほど前までは、戦国時代の城に江戸時代の天守や櫓を建設して観光資源とするような恥ずかしい行為をしていたのと比較すると、大幅な進歩といえよう。ただし、私自身は城を訪れた者が想像力を働かせれば、建物は復元する必要はないと考えているため、たとえ、それなりの考証がされていても、復元建物の必要性はないと考える。
さて、城に限らず、史跡は、指定なし・市区村長指定・都道府県指定・国指定の4段階に区別される。
国指定史跡の一覧については、文化庁国指定文化財等データベースを参照されたい。
国指定史跡は、静岡県を例にとると、興国寺城や高天神城といった戦国の城は指定されるのに対し、なぜか、江戸時代の大名の居城であった浜松城や駿府城が抜けている。
市区町村指定では、史跡としての保護に限界があるのに対し、都道府県指定や国指定に「昇格」すると、保護の方法や予算の額についても優遇されるらしい。それぞれの城が都道府県指定か国指定かであるのかは、その純粋な歴史的価値だけではなく、中央官庁と地方自治体との関係も含めたさまざま状況も加味されているともいう。
城を攻めながら、こんな裏事情まで思いを寄せてしまう私は、城好きとして不純な部類に属すのかもしれない――。