現代でも使っている“アレ”を発明したサムライ・上泉信綱
第二十三回 SAMURAIファイル 上泉信綱
日本が誇る錚々たる戦国武将たちの魅力。
外国人の目に我が国の英雄たちはどう映っているのか
あるサムライは武功を認められたことで名を残し、あるサムライは世を大きく変えたことで名を残す。今回紹介する武将、上泉信綱は、あるものを「生み出した」ことで名を残したサムライだ。
上野国(現在の群馬県)に生まれ、戦国武将・長野業正(なりまさ)の家臣として仕えていた信綱だったが、長野家の居城箕輪城が武田信玄によって攻め落とされ、長野家が滅亡すると、供を引き連れ全国へ兵法指南の旅に出た。
15歳の頃から、念流や神道流、陰流を学んでいた信綱は、これらの流派に自らのアイディアと工夫を加えて「新陰流」を生み出した。またケガをせず稽古ができるようにと木刀から「袋竹刀(ふくろしない)」という道具を生み出したというのも、信綱のすごいところ!
※ 袋竹刀とは…いくつかに割った竹に、筒状にした革の袋をかぶせたもの。縫い目を刃にみたてる。ビニール傘くらいの重さで、とても軽い。ぼくも、古武道の稽古の時には使ってます!
奈良の宝蔵院では、もっぱら「強い!」と噂の柳生宗厳に出会い、信綱は3度打ち負かす。それをきっかけに、柳生宗厳は信綱に弟子入り。ここから、あの柳生新陰流が生まれるというわけです。一般的には、剣術というと「柳生」の名前の方が有名かもしれないけど、もともとは上泉信綱のおかげだったんですね。
そして、もう一つ、こんなエピソードもありますよ。信綱が、現在の愛知県一宮市あたりで、子供を誘拐し人質にとって馬屋に立てこもっている悪人がいるという現場に遭遇した。頭をそり、お坊さんから袈裟を借りた信綱は、おにぎりを持って馬屋に入った。
「どうぞ、このおにぎりを食べてください」と差し出す信綱。おにぎりに気を取られ、悪人が油断したすきに子供を助け出した…ということらしい。うーん、カッコいい!
実は、このエピソード、あの黒澤明監督の「七人の侍」の1シーンのモデルになったと言われています。ぜひ、チャンスがあったら「あっ、この場面ね」と思いながら見てください!
新陰流を生み出した上泉信綱。武功で名を残したサムライより、地味な存在かもしれないが、ぜひ多くの人に知って欲しいサムライの一人です。
- 1
- 2