男をイジる「苛める女」ジャケには意味不明なシチュエーションのものばかり【美女ジャケ】
【第15回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
「美女ジャケ」とは演奏者や歌っている歌手とはまったく無関係な美人モデルをジャケットにしたレコードのこと。1950年代のアメリカでは良質な美女ジャケに溢れており、ギリギリセーフなエロ表現で“ジャケ買い”ユーザーを魅了していたという。このたび『Venus on Vinyl 美女ジャケの誘惑』を上梓したデザイナー・長澤均が、魅惑の美女ジャケについて独自の考察を語る。
■体は埋められ首だけが残り、男は完全に女のオモチャ
美女ジャケのレコードを集め始めた数十年前、最初はレコ屋でソレっぽいのが手頃な値段であれば、なんでも買った。ポール・モーリアやレイモン・ルフェーブルなど、おもに60年代以降に大人気となるイージー・リスニングのジャケ・モデルはあまり美女には思えなく、やはり50年代の古典的美女に食指を動かされた。
50年代をメインに60年代初頭くらいまでの美女ジャケを集めていると、大きく5つくらいのパターンに分類できるような気がしてきた。
まず、美女の顔のアップ。最も多いが個人的に美人と思えなければ、たいして魅力はなくなる。買ってものちに売ったりしてしまったのは、この顔アップ・ジャケが一番多い。
次に寝そべる女。まあ、これは女らしさやエロティシズムを表現するには、最も有効なポージングだろう。全身だったり、上半身だったり、胸を強調するものだったり、薄いネグリジェで思わしげだったり、じつに多様である。これらすべてを合わせれば、寝そべり美女は顔アップに匹敵するくらい多いのかもしれない。
そして男と寄り添ったり、抱き合ったり、カクテルを飲んだりのロマンスもの。これはなかなか雰囲気があって良い作品が多い。森での逢瀬、浜辺での抱擁、とそれなりにロケーションにお金をかけて、良いカメラマンを使っている感じだ。
その次くらいはダンスシーンだろうか。ドレスアップした優雅な社交ダンス。ムード・ミュージックはBGMであり、ダンス・ミュージックでもあったから、ダンスはジャケ写真のテーマにしやすかった。
ここまでで4つのパターン。
5つ目は? 乱暴な言い方になるが、その他ポーズいろいろという感じだろうか。多種多様といったところ。
この、その他美女のなかでもごく少数なのが、女性が上位/優位にあるようなシチュエーションのもの。勝手に題して「苛める女」ジャケだ。
ジャケでなんとなく「女性優位」を感じ取ったのは、ジュリー・ロンドンの「Swing me an old song」だった。ジュリーが髪と腰に手をやり、寝そべった男が彼女を見上げて眺めている。
これはどういうシチュエーションなのだろう? まったく不明だ。男が着ているアンダーウェアは20世紀初頭の男性水着のようにも見える。ジュリーのレオタードみたいなのは? これも水着かもしれないが不明だ。
不明ばかりなのだが、腰に手をやる女性に関しては、じつは以前から研究してきた!
筆者は高校生のときからの熱狂的なマレーネ・ディートリッヒ(1930年代の世界的ハリウッド女優)ファンなのだが、彼女のハリウッド・デビュー作から立て続けに7本の監督を務めたのがジョセフ・フォン・スタンバーグだ。
ベルリンの舞台でディートリッヒを「発見」したスタンバーグは彼女に夢中で、ディートリッヒを美しく撮るためにあらゆる労力を惜しまなかった。いささかマゾヒスティックにディートリッヒを崇拝していた彼は、その思いの痕跡を映像に残している。
スタンバーグ作品でのディートリッヒは、男を前に「尊大」に振る舞うシーンが良くあるのだが、彼女の尊大な感じは、腰に手を置くことで表現された。それも親指側を前にして。
ジュリーのジャケをもう一度、見て欲しい。親指ではなく、残りの4本の指を手前にしている。これはそれほど「尊大」なポーズではない。親指を手前にしたほうが、より「尊大」に見えるのだ。
エロティシズムは技法の産物だ。
想像するにディートリッヒを崇拝したスタンバーグは、彼女がいかに尊大に見えるか、そのポーズを指の置き方に至るまで研究したのだろう。
やがてこのコンビは解消される。二人の関係を邪推したスタンバーグの妻が離婚訴訟を起こしたのだ。ディートリッヒが他の監督作品に出演するようになると、腰に手を置く尊大なポーズはほぼ消えてしまうから、これはスタンバーグ作品特有の演出だったわけだ。
だいぶ寄り道してしまったが、ジュリーに戻ると、ポーズ違いの別ジャケがあることに気づいた。レコ屋で見て「なんか持っているのと違う」と思い、あとで調べたら同じ内容でモノラル録音とステレオ録音の違いだった。それをアザーカットの写真を使って別ジャケにしたのだ。高かったけれどこのポーズ違いも買った。曲目は同じなのにね。
赤をバックにポップで洒落たデザインがとても良く思えた。概して恋しているときは相手のアラも見えないもの。何年もしてジュリー熱が醒め始めたころ、この両手を腰に置いたステレオ盤のジュリーって、どこかいまひとつに見えてきた。ポーズがギクシャクしているし、ちょっと腰の位置が低いかもと。
連載第14回で、「人生には気づかないほうが幸せなことは多い」と書いたが、それがこのジャケだったわけです。
ちょっと似たような構図のジャケがメル・ヘンケの「NOW SPIN THIS!」。こちらはグリーン一色のバックにモノクロ写真でじつにセンスが良い。ジャズ・ピアニスト、ヘンケの演奏はさほど面白くはないのだが、ジャケ人気でいまでも高値の作品だ。
タイトルが「スピン」だからメル・ヘンケの顔が丸くトリミングされ、ヨーヨーになってしまっている。男は完全に女のオモチャ。しかもユーモラスだし良いねぇ、なんて他のメル・ヘンケ作品を探したら、赤バックの似たようなデザインの「DIG」があることを知った。
15年くらい前、レコ屋でやっとこれに出会ったが、ちゃんとジャケを見たら退いた。タイトルの「DIG」に掛けて、ショベルで掘られたところにヘンケが埋められて頭だけ出ているのだ。
これはちょっと怖かった。筆者はそこまでの被虐趣味はなく、このレコードに5000円散財する余裕もなく、当然、諦めた。ここに掲載した写真はネットからのもの。
ただ、どちらもデザインはきわめて秀逸だ。ロバート・ギルディという同じデザイナーが担当している。ちなみにリリースは怖い「DIG」のほうが前である。
こうして見てくると、女性がスクッと立って、男が小っちゃく下のほうに写っていると、女性が尊大に見えてくるのだと納得する。それだけで女性の優位性が視覚的に表現されるのだ。
しかもメル・ヘンケの2枚のアルバムなどは、どうみても男を苛めている。これはヘンケがマゾだったのだろうか? それともディレクターやデザイナーの遊び心だったのだろうか? 女性優位ジャケから今回の「苛める女」というテーマを思いついたのは、このヘンケの2枚の遊び心あるアルバムを見てのことだ。