「ライン」の高さでサッカーの良し悪しを判断してはいないか。
ピッチ外から見るサッカーの落とし穴
J1プレーオフにあったラインの隙
昨年のJ1昇格プレーオフ準決勝、僕が所属していたファジアーノ岡山が松本山雅FCを下した試合。ロスタイムの奇跡の決勝ゴールを忘れることはできません。その決勝点はとても興味深い形で生まれました。
1-1で残り数分となり、あと1点取らなくてはならなかった僕たちは、センターバックの僕も前線に上がり、パワープレーを仕掛けることにしました。松本山雅FCのディフェンスは堅く屈強ですが、何か事故を起こすことを狙って前線に位置しました。
それに対し、相手はラインを下げ、ペナルティーエリア内に何人ものブロックを敷いて、僕たちのパワープレーをことごとく防いでいきました。
正直なところ、事故を起こせる可能性を感じないほど、松本山雅の守備陣は集中していました。僕も何度か競り勝つことはありましたが、そこにスペースはなく、時計だけが無常に過ぎていく感覚でした。
「僕のラストゲームか」
との思いがよぎったとき、相手のクリアボールがファジアーノ岡山のゴールキーパーまでいきました。すると、松本山雅の守備陣はラインを少しだけ上げました。堅く、ほんの少しのスペースも見えなかった相手守備陣にエアポケットのような空間と時間が生まれました。そこを図ったようにボールがつながり、赤嶺選手の奇跡の勝ち越しゴールが生まれました。
松本山雅FCの守備陣の「ラインを上げる」という選択は間違いではなかったと思います。サッカーにおいて難しいのは、本当に正解などないことです。ただ、たまたまその試合では、ラインを上げたことによって決勝点が生まれました。