「ソクラテスの死」が後世に与えた影響「天才? 変人?あの哲学者はどんな「日常」を送ったのか~ソクラテス編」
ソクラテス<下>ソクラテスの死・前編
瞑想にふけり、天才ゆえの反感がもたらした罪
紀元前399年、70歳のソクラテスは「神を信じず青年を腐敗させた罪」によって三人のアテネ市民から告発され、裁判が開かれることとなった。しかし、何故、彼はこのような理由で罪を訴えられたのだろうか。
ソクラテスには時折、瞑想にふけり長い時間身動き一つしない状態になる癖があった。街を歩いている途中で何かを思いつくと突然立ち止まり、考えこんでしまうことがよくあったそうだ。
そうなると、しばらく誰も彼を動かすことができなかった。戦場の真っ只中で一昼夜にわたり同じ場所に立ち尽くしていたという逸話もある。
こういった状態にある時のソクラテスは、一種の神がかりの状態にあって、神霊の声を聞いていた。アテネの人々の間ではソクラテスがよくこのような神がかりの状態になることを知られていたので、神を信じずに邪教を崇拝していると考える人も多かったのだろう。
この時代のアテネはギリシアの覇権をかけたスパルタとの戦争で全面的敗北を喫したばかりだった。その敗戦の大きなきっかけを作った煽動政治家アルキビアデスがソクラテスの弟子であり、愛人であったことは、市民の間で公然と知られていた。
また、敗戦後のアテネでは「三十人政権」という強権的な政治が行われたが、その政権のトップに立っていたクリティアスもソクラテスの弟子として知られていたのである。
ソクラテスのほうでは彼らが自分の「弟子」という意識を持っていたわけではなかった。彼はただ、自分の話を聞いてくれる人だれば誰でも対話をしたのである。
しかし、ソクラテスがアルキビアデスやクリティアスのような青年たちをたぶらかしたせいで、アテネが戦争に負け、圧政に苦しめられたと考える人も少なくなかった。実際、ソクラテスを告発した市民の一人であるアニュトスは、反三十人政権派の闘士だった。
他にも、喜劇詩人アリストファネスが作った喜劇『雲』でソクラテスは怪しげな説を唱える人物として風刺され、「ソクラテスより賢い者はいない」という神託を受けて以来、神託が本当かどうか確かめるためにアテネの賢人たちと会って対話し、ことごとく論破してきたりもした。
そのため、当時尊敬されていた人を小馬鹿にする怪人物というイメージが人々の間に広まっていて、アテネ市民の中にもソクラテスをよく思わない者が大勢いたのだろう。