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大坂城の建造年代はいつが正しいか?

外川淳の「城の搦め手」第19回

 以前、お好みのアイドルグループが出演するテレビのクイズ番組を見ていたところ、城に関連する問題が出されていた。「建造物 古い順に並べろ」というお題で世界や日本の建造物のなかに、大坂城も含まれていた。そのとき、「大阪城」として、このようなカット(※写真1枚目)が紹介されていた(これは類似画像です)。

 

 実際に使用されたカットは、もう少し向かって左側手前から撮影したもの。これだけ、コンクリート天守がアップになっていると、昭和6年(1531)が完成年代としたいところではある。とはいえ、芸能人参加のクイズ番組において大坂城の天守が昭和初期の建造物であるという知識を求めるのは、無理難題なのであろう。

 結論とすると、「大阪城」の建造物としての年代は、1585年が正解とされた。この年には、本丸や天守が一応の完成をみていることから、通説においても、大坂築城の年とされている。クイズ問題としての正確さを考えるのであれば、コンクリート建築の「大阪城天守閣」は避けるべきだったと思う。
 なお、現在、地名や観光施設としての名称として「大阪城」と表記されるが、歴史的呼称としては、「大坂城」が使用される。

発掘され、移設された豊臣時代の石垣。

 この石垣のカット(※写真2枚目)であれば、1585年という年代に適合。だが、テレビのカットとして使用するには地味過ぎるかも?

隣接する高層ビルから眺望する大坂城の全景。

  このような引いたカット(※写真3枚目)を利用すれば、1585年という年代も、そんなには無理がない。ただ、現在に伝えられる大坂城の石垣は江戸時代初期、徳川幕府によって再建されたものであり、多少の齟齬はある。

 それでは、大坂城ではなく、現存天守の姫路城をあげると、天守の築造年代は正確にわかっても、戦国時代に赤松氏もしくは、小寺氏が築城した年代となると、不明な点が多く、ふさわしくない。  
 その点、戦国時代に城として使われた可能性が低い。
 彦根城であれば、現存天守と築城年代が一致し、城好きから突っ込まれることはなかっただろう。

 ちなみに、このクイズが出題されたときの私の感慨は、けして怒ったりせず、「ブログのネタとなる」だった。

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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