韓国人シンガーKが日本の伝統を旅する「日本の千年のデザイン文化を感じる仕事」
第13回 名古屋黒紋付染 飯田優美堂 紋章上繪師・飯田勝弘さん
K 飯田さんは、なぜこの道に足を踏み出したのでしょうか?
飯田 私は二代目でなんです。修行中だったときにおやじが急逝しまして、急きょ名古屋へ帰ってきました。最初は家業を継ぐことに迷いもありました。実力はまだまだでしたから。しかし、お客さんからの後押しや応援の言葉があったりして、今日に至っています。また、当時は紋章上繪の仕事がたくさんあったので、それをこなすことで、腕を磨いたということですね。
K どんなところに気を遣っていますか?
飯田 私たちがいただくお仕事の多くは、着物という高価な商品に対するものです。お客さまは私たちを信用し仕事を出してくださるんです。
K 先ほどもお話しされていましたが、飯田さんのお仕事は一度失敗するとその生地がダメになってしまうそうですね。
飯田 言葉が正しいかわかりませんが、一筆入魂という気持ちです。筆先に心をこめて精神を集中しながら、この商品をいかにうまく完成させて、お客さんの手元に届けるか。そういうところまで考えていかないといけません。
K とはいえ、最初のころは失敗もあったのですか?
飯田 ないと言えばうそになりますね。そういうところは再加工したりして、修復します。けれど、そういう回数はどんどん減らしていかなくてはならない。今ではそういうことはありませんから。
K 手描きでのお仕事。その日のコンディションや出来事、感情などによって、描く紋のニュアンスに変化があってはいけないですよね。
飯田 それはやはり命ですからね。注文されたものが少しでも曲がっていたり、大きさが変わればバランスがぜんぜん狂ってしまう。それも絶対に許されない。書き損じもそうですけど、紋のイメージ、デザインも崩してはいけませんから。
K 今までで最高の出来だというものはありますか?
飯田 私どもの商品は自分の手元に残らないんですよね。全部お客さんのところへ行ってしまいます。それはそれでいいんですが、やはり僕を困らすような仕事、複雑な紋様があったりすると、これは困ったなと思いながらも、自分のプライドをかけて、意地でも「よっしゃ」と思って。それがやり切れたときが、一番うれしいし、よかったなと思いますね。
K 紋章上繪師の魅力は何でしょうか?
飯田 紋全般を考えたときに、日本の千年のデザイン文化だと思うんですよ。どれを見ても先人の知恵というか、デザイン感覚の凄さを感じます。今、パソコンなどでうまく組み合わせればできるデザインもあります。しかし、紋はそういうものとは全く違う。自ら線をひいて、こことここを組み合わせたら、どういう形になるんだろうという工夫があります。同じ植物のモチーフであっても、組違い(組み合わせを変える)だけで、まったく違った紋になるんですよ。そういう面白さがあります。自分のやり甲斐としては難しい仕事というのが一番ですね。そういう気持ちが入ったものが一番だと思いますね。
K ちなみに飯田さんの家紋を見せてください。
飯田 飯田家は丸に抱き茗荷。紋付きや仏壇、食器、お重箱のふたとか、やはりこういう仕事をしているので、家紋にこだわっています。家を重んじているのかもしれませんね。
K 家のことを想っていられるということですね。飯田さんが今後やるべきと考えられていることはなんでしょうか?
飯田 今、この業界は低迷気味ですが、この技を伝承していきたいという想いはあるんですよ。ですから、後継者育成事業、公から支援を少しいただきまして、ここ6年やっています。そういう作品の展示会を開いたり、切磋琢磨しながら紋章上繪師の技をみなさんに伝承して、受け継いで頂きたいという努力はしています。
K 少しずつ増えているのですか?
飯田 そういう思いで続けています。技術だけでなく、信用も必要な仕事。次の世代の人が腕を磨き、飯田の後継者になるかもしれないという気持ちです。先代から、良い技を受け継ぎまして。皆さんの応援を頂きながら、親にも感謝して。そういういろいろな方々からの支えがあるからこそ、紋業界も悪いながらも、上手くいっているんだと思います。そういう支えにこたえるのが私の道かなと思います。