南北朝時代から続く庶民の苗字があった! 日本最古の庶民の苗字とは?
ニャンと室町時代に行ってみた 第5回
一生「童名」の人もいた?
京都の市街地の北に隣接する山城国山国荘という荘園では、水口・鳥居・藤野・新井・江口など、現代まで伝えられている苗字が史料に残されています。また、山国荘では苗字ばかりか、姓までも持っていたことが明らかにされています。
南北朝時代初頭の建武4年(1337年)、山国荘の住民が田畑を売却した際の証明書に売主と保証人の名前が連署されています。ここには売主の藤井為国以下、今安・高室・田尻・三和という名が見えますが、このうち藤井と三和が姓で、特に三和(三輪)は古代以来の伝統的な姓として知られています。
個人の名である〝下の名前″の付け方も現代とは異なります。中世男性の多くは複数の名を持ち、成長とともに変えていくのが一般的でした。諱といわれる実名のほか、幼少時代の「童名」、藤四郎・平三など通称である「字」、出家後に名乗る「法名」などがあり、人生のステージに応じて名乗りを変えていきました。中には、犬次郎・鬼次郎など成人後も童名で呼ばれる人がいましたが、これらは社会的に一人前扱いされない最下層の人々だったと考えられています。また、室町時代の女性は、武士も庶民も多くが成人後も改名できず、犬女や観音女、チイ女などの童名を使い続ける場合が多かったようです。下層民男性や子どもと同様、半人前の存在とみなされていたことを表しているといわれています。