中世の人も勉強熱心! 江戸時代以前でも識字率は高かった?
ニャンと室町時代に行ってみた 第6回
近くに寺院がなくても教育を受けれた理由
近くに教育を受けさせてくれる寺院がない地域では、旅の僧に読み書きを習うこともあったようです。狂言の「腹立てず」という演目には、村人たちが旅の僧を村に連れて行き、草庵にとどめて子どもたちの教育を頼む様子が描かれています。
実際、天文24年(1555年)に越前国江良浦に伝わった文書には、宗幸という旅僧が村人たちに「いろは」を教えていたことが記されています。また、親が子に教えることも行われていたようです。狂言「いろは」には、親が子にいろはの手ほどきをする様子が、落語のような軽妙なかけ合いによって表現されています。物語では、子どもの呑みこみが悪くなかなかうまくいきませんが、家庭内で読み書きを教えることが行われていたことをうかがわせます。
読み書きにとどまらない幅広い教養や道徳観は、マンガでも強調されていた『御伽草子』や農村に伝えられてきた能や神楽などの演芸が大きな役割を果たしたと考えられています。『御伽草子』が本として広く流通するのは江戸時代以降ですが、耳で聞く物語としては室町時代から広まっていたといわれます。また、マンガにも登場する九条政基を感嘆させた日根野荘の農民による演能は、庶民が伝承してきた芸能レベルの高さを裏付けています。