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天下茶屋周辺に残る豊臣家ゆかりの旧跡

季節と時節でつづる戦国おりおり第297回

天下茶屋かいわい① 天下茶屋

 連載第294回では住吉大社で見ることができる豊臣秀頼・淀殿母子の名残を紹介しました。今回は住吉大社から北にふた駅ほど戻った天下茶屋周辺に残る豊臣家ゆかりの旧跡をたどってみましょう。

 南海高野線岸里玉出駅、阪堺電車天神の森駅、どちらからでも徒歩5分かかるかかからないかという早さで到着しますのがこちら。

 

「天下茶屋跡」の道標。道を挟んだ向かい側に見えているのは天神ノ森天満宮です。こちらは後でうかがうこととして、まずは天下茶屋跡へ。

 道標のある道を西へ入るとすぐ、住宅地のなかにこんもりとそこだけ木が残った一角が。これが天下茶屋跡です。

 

  戦災で焼けたために現在残っている遺跡はこれだけです。その後も、つい最近までこの木は前の道を覆って向かいの建物まで届くほど鬱蒼としていたそうですが、今は枝を落とされかなりすっきりしてしまっているとのこと。その場で親しくなったお婆ちゃん談(笑)。そういう下町っぽい親しみやすさがあるところです。

 

 中にはこのように説明板と石碑があるだけですが、このあたりは一面森で、その一角が往時茶人の武野紹鴎(千利休の師匠ともいう)が茶室を構えた場所といわれ、豊臣秀吉も住吉大社や堺へおもむく際にたびたび紹鴎の茶を喫しながら休憩した、と『住吉名勝図会』には記されています。

 おや? でも紹鴎は秀吉が活躍する以前の弘治元年(1555)に亡くなっていますから、これは無理ですね。天神ノ森天満宮の由緒略記に「堺に往復する途中、天満宮西側の茶店で休憩」とあるのが正解です。茶人・紹鴎ゆかりの地というメリットを活かして、ここに茶店を開いた者がいたんですね。『大阪史蹟事典』によればその人物の名は芽木小兵衛光立。桃山の昔から、大阪人は商売上手なのです。秀吉が立ち寄った時は、三代目の小兵衛昌立で、以降は「(太閤)殿下の茶屋」と呼ばれ、後年転訛して「天下茶屋」となったとか。

『住吉~』には、紀州街道を挟んで天満宮の向かい側に広い敷地を塀で囲んだ「天下茶屋」が描かれており、江戸時代後期になっても名所として往来の旅人に人気だったことをうかがわせてくれます。寛政7年(1795)刊行の同書に「天下茶屋小兵衛」とあるのは、光立・昌立の子孫。歴代小兵衛を名乗ったんですね。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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