【ヤクザの倫理】塀の中でも自分の恥は親分の恥——ヤクザ者のプライドとは何か《懲役合計21年2カ月》
シャバとシャブと地獄の釜Vol.08
■自分の恥は親分の恥
新しく班長になった三井は、性格的にはおとなしく、あまり人付き合いが上手くなく、不器用で損をするタイプだった。そんな三井が、横浜の元不良の唐木とモメてしまったことで、外のハツリ場にいるボクに相談を持ちかけてきた。
「サカハラさん、どうしたらいいですかね。唐木の奴、また部屋で自分の『厄マチ』を切っている(悪口を言う)らしいんですよ。あの野郎、やってやろうかな」
そう言いながら三井はボクの言葉を待っていた。しかし、ボクが口を開く前に、三井は自ら答えを出して言った。
「やっぱりやめて、このまま我慢します」
そんな三井にボクは言った。
「三井さん、自分のヤクザとしてのプライドを堅気に賤(いや)しめられても、三井さんが我慢するというなら、それでもいいんじゃないですか。しかし、自分が看板を背負った現役だということを忘れないことです。極端にいえば、自分の恥は親分が恥をかくのと一緒です。
自分が置かれている班長としての楽な立場が大切なのか、それともヤクザとしての生き方が大切なのか、その辺をよく考えた方がいいですよ。シャバに出て、ヤクザを続けていくなら、なおさらですよ。こう言ったからって、オレは三井さんに空気を入れている(煽っている)わけじゃないんで、誤解しないでくだ さいよ。ただ、ヤクザの倫理で考えたなら、ということを言っているだけです」
ボクが言ったのは、自分が現役のヤクザならヤクザらしい生き様を大切にするということなのだ。
初犯で来ていた三井は、務め方が下手だった。そしてヤクザとしての認識が稀薄だった。ヤクザの看板を背負っていても、ヤクザとしての誇りやプライドというものが薄かった。
「我慢しますよ」は 、自分の立場が温(ぬく)いから、その立場を失いたくなかっただけの話である。
できない我慢を、それでも押し殺していくのが、ヤクザの本当の我慢というものだ。
(『ヤクザとキリスト〜塀の中はワンダーランド〜つづく)
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2020年5月27日『塀の中のワンダーランド』
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