家庭にいながら非日常を味わえる“コスプレ”エキゾミュージック【美女ジャケ】
【第16回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
■お肌多めなエキゾジャケットだけど聴いたら意外とアレだった
スタンリー・アップルウェイトのアルバムは、それとなくギリシャ・ローマ風に装ったが、一番わかりやすい「コスプレ」は、中近東などのエキゾ風味が入ったものだ。
連載第5回のモデルの「流用」という話で紹介したウーゴ・モンテネグロの「love of may life」は、ハリウッド風のアラビアン・ナイト・イメージ。
何人もの美女に囲まれた演奏者(指揮者)というモテモテ・ジャケはけっこうあるが、こうなると一夫多妻制ありですか? とツッコミを入れたくなる。
1950年代のアメリカのサバービア(郊外)で、ある程度恵まれた生活を送る中産階級の男性は、保守的な風土のなかでそんな一夫多妻イメージを夢想した部分もあったのだろう。
男性は家庭の柱となって企業で働き、妻は専業主婦として家庭を守る。それがサバービアの、つまりはアメリカのモラルの隠れた掟のようなものだった。
だから否応なく訪れる夫婦の倦怠をどう回避するかも大きな問題だった。まだ、あからさまに性を語れる時代ではない。性への言及が一般化するのは1960年代後半になってのことだ。
夫は会社帰りに同僚とレコード店に寄って、冗談まじりに「HOW TO BELLY-DANCE FOR YOUR HUSBAND」なんてレコードを買う。
夫はあからさまな性の話は避けて、妻にレコードを見せる。妻はなにそれ? 的な眼差しでそれを見るが、夜の寝室でレコード・プレイヤーから流れる音楽に合わせて、ネグリジェ姿で少しは腰を振ってくれたのかもしれない。
いきなり妻が中東の妖しいベリー・ダンサーに変身! なんてことはなかったろうが、こういう企画物レコードはそれなりにウケた。
ちなみにジャケの上部にクレジットされているリトル・エジプトさんは、当時のバーレスク・ダンサーの大御所。彼女によるベリー・ダンス「指南書」がリーフレットになって封入されたレコードで、これは斬新な企画だった。
ハリウッド映画は1920年代からオリエンタリズムやエキゾチシズムを取り入れて、人々の異郷への興味を煽った。中近東から南洋まで。
それは戦後の1950年代にレコードの世界でも再生産される。南洋からアフリカものまで、ムード・ミュージックのなかにエキゾチシズムを取り入れ、先導したのは作曲家兼指揮者のレス・バクスターだ。
そうしたソフィストケートされたエキゾとは別に、オリジナルの民族音楽もムード・ミュージックの一種として家庭に迎え入れられる。民族音楽とムード・ミュージックでは、かなり雰囲気に乖離があるので、これが受け入れられた背景にどんな心理があったのか、ちょっと不思議である。
たとえばサブタイトルに「中近東の音楽」と書かれた「PORT SAID」。これは長くモンド・ミュージック系の名盤とされてきた。
それにしてもこのジャケット。はっきり言って美女ではない。スタイルもかなりよろしくない。
筆者は中東方面はトルコしか行ったことがないが、旧市街は美女が多くてびっくりしたぞ。新市街の西洋化された女性よりも、旧市街のちょっと緩いイスラム服の女性に長身の美人が多かった。トルコは歴史的にギリシャとの接点でもあったからギリシャ古典美を再現しているような明眸皓歯(めいぼうこうし=目鼻立ちがはっきりした美人のこと)が少なくない。
このアルバムは、タイトルが「ポート・サイド」(エジプトの地中海沿岸都市)だから、エジプト女性のイメージだろうが、エジプトだって美人は多い。
だが、このレコードは人気があったのだ。半裸とエキゾなコスチュームが、「スペース・エイジ・バチュラー」(1950年代のエキゾ系ムード・ミュージック好き世代のこと)たちをそそったのか? 濃度の濃いコスプレ・ジャケと思えばいいのかもしれない。
こんなジャケで人気があるとは、いったいどんな音楽が詰まっているのだろう? 中東の音楽はずいぶん聴いたし、トルコでは楽器まで買ったけれど、このレコードにはきっともっと斬新な何かが詰まっているに違いない……。
そんな思いをずっと抱いていたが、このジャケにあまりお金を使う気になれない……と躊躇していたらニューヨークの蚤の市で5ドルで出ていた。買って帰りましたよ。
だが、聴いたらいわゆるアラビア音楽そのもので可もなく不可もなし。なんという拍子抜けだったことか。