常磐線の被災区間を行く
震災の爪痕残る路線
2011年3月11日に発生した東日本大震災で、JR常磐線は、広範囲にわたって被災した。なかでも福島第一原発の近くを通っていたいわき以北の区間は、原発事故の影響で復旧工事がままならず、今も運休中の区間がある。それでも、少しずつ運転再開区間が増えていき、2017年4月1日に、仙台から南下して浪江まで線路がつながった。今回は、この区間の現状をレポートしてみたい。
仙台駅から原ノ町行きの普通電車に乗る。お昼過ぎの列車は、オールロングシートの701系2両編成。早めに乗車したので座れたが、発車間際には、後部ドアから大勢の人が乗り込み、ラッシュアワーのような混雑ぶりとなった。
とはいっても、各駅に停まる毎に乗ってくる人よりも降りる人の方が多く、東北本線と常磐線が分岐する岩沼駅を出ると、立っている人はほとんどいなくなり、空席も目立つようになった。2両編成で充分間に合うようである。岩沼駅までは仙台から20分の距離だ。
岩沼駅からが、正式の常磐線。ここまでは東北本線を走っていたのだ。福島方面へ向かう東北本線は複線電化なのに、常磐線は単線だ。首都圏では、「本線」のような風格があるが、このあたりでは単線ということもあって、常磐「本線」ではなかったのだなあ、と妙に納得してしまった。元々は東北本線の偉大なる「支線」なのだ。
広々とした平野の中を快走し、岩沼駅から10分で亘理(わたり)駅着。駅に隣接して天守閣が聳えていた。お城かなと思ったら、悠里館といって図書館や郷土資料館などの公共施設が入っている建物とのこと。それにしても面白いものを造るものだ。亘理駅までは震災後1カ月ほどで運転再開となったが、これより先は被害が甚大で、列車が走るまでにかなりの歳月を要している。次の駅浜吉田までの運行が再開されたのは、2013年3月。駅は従来からのものである。
浜吉田駅を出てしばらくすると、被災した旧線とは離れ、内陸部へと進む。真新しい路盤、架線柱が光っている。しだいに高度を上げ、高架線を走り山下駅に到着。島式ホームで列車のすれ違いができるようになっていた。山下駅は、震災前の駅より西へ2kmほど離れたところに移設された。駅に隣接して商業施設と思われる建物が建設中。大きな駐車場も目立つ。周囲はまだまだ造成中のような雰囲気で、新しい駅ができ、仙台からの直通列車が走りだしたので、これから開発がどんどん進むのであろう。町を集団移転しての復興事業は時間がかかるのだ。
山下駅を出ると、真新しいトンネルやコンクリートのモダンなアーチ橋を通って坂元駅に到着。この駅は単線の線路にホームが一本あるだけの簡素な高架駅だった。発車後、海岸の方を見ると、クレーン車が何台も作業している。再度の津波に備えての堤防かさ上げ工事などを行っているのだ。震災の爪痕はまだまだ生々しく残っている。
新地駅を過ぎると、その次の駒ヶ嶺駅からは、在来の路線を修復した区間に入り南に進む。小さな鉄橋は作りなおしたようで、コンクリート製のアーチ形のスタイルで真新しく架かっていた。やがて列車は相馬駅に到着した。相馬野馬追で有名なところで、このあたり(いわゆる「浜通り」北部)の中心都市である。そのためもあってか、2分停車。少しだけホームに降りて気分転換を図る。
さらに先へ進む。ここから原ノ町駅までは、被害が比較的少なかったので、早々と運転を再開していたが、孤立した区間であった。2016年12月の浜吉田~相馬間の開通で、ようやく仙台からの直通列車が走るようになり、線路がつながった。
仙台から1時間20分近くかかって原ノ町駅に到着。仙台駅の案内板では原ノ町行き。時刻表では浪江行きとなっていて、不思議に思っていたのだが、10分停車後、同じ電車が行き先を浪江と代えて、そのまま発車することとなった。乗務員は交代し、列車番号もかわった。
この先は、原発に近く、避難指示が出されていた区域だったが、徐々に部分的に解除され、ようやく復旧作業も行われ、少しづつ運転が再開されていった。小高駅までは、2016年7月に運転が再開され、2017年4月にようやく浪江まで列車が走ることになったのである。車内は、原ノ町までと比べて、一段と閑散とした状態である。まだまだ鉄道での人の動きは多くないのだろう。車窓を見ると、線路際では、除染作業が行われている。また、放置されたような空き家もあり、胸が痛む。列車は、やや速度を落として進み、原ノ町から20分で浪江駅に到着した。
列車は、駅舎から遠いホームに横付けとなった。本来なら跨線橋を渡って改札口に向かうのであるが、本数も少ないし、構内が工事中なので、仮の通路を設置してダイレクトに駅舎へ段差なしに行けるようにしてあった。
駅名標には、次の駅の双葉という表示があり、線路も延びているのだけれど、原発事故の影響で放射線量の高い区間があることから運休中である。除染作業をすすめ、帰宅困難区域、居住制限区域の解除にあわせて工事が進められている。いわき方面とつながるのは、2020年頃の予定といわれている。
決して浮ついた気持ちで行く場所ではないけれど、常磐線の被災の実情とその復興の様子は知っておいてもよいのではと思い、乗車して報告した次第である。