イザナキ・イザナミが最初に産んだ子「ヒルコ」はなぜ捨てられたのか?
天地開闢神話と国生み神話⑤
国生み神話における
『古事記』『日本書紀』の違い
<ヒルコの誕生の意味>
イザナキ・イザナミ両神が最初に産んだ子はヒルコと称されるが、『古事記』によると、ヒルコは葦船に入れられて捨てられてしまう。次に淡島を産むがこれも「子の例には入れざりき」とある。つまり、ヒルコも淡島も子とはみなされないわけであり、出産からいうとうまくいかなかったことになる。
『日本書紀』の第4段本文には、ヒルコのことはみえず、まずはじめに淡島洲を産んでいるが、意にそわなかったのでアハヂ(吾恥)という名がつけられたとある。
ヒルコの実体については、『古事記』の第4段に続く第5段の本文に、イザナキ・イザナミ両神が日神と月神を生んだのちにヒルコが誕生したとあるが、3才になるまで歩けなかったとあり、そのためアマノイワクス船に乗せられて風のまにまに棄てられてしまう。こうしたことからみるとヒルコは障害児のイメージをうけるが、この点をめぐっては諸説みられる。
そもそもヒルコの解釈をめぐっては、江戸時代から論争があり、『南総里見八犬伝』で有名な滝沢馬琴は、ヒルコは「日子」であるとしている。そして、ヒルコとは星であり、北極星のことであると説いている。馬琴の考えは、形を変えて今日でも継承されており、ヒルコを「昼子」とか「日子」と考え、比古(彦)のことであるとして、「昼女」、「日女」(媛)に対応するものとする説もその一つといえる。
また、ヒルコを「比流牟」と解釈して臆病者のこととする考えやヒルコを人格的にとらえ、太陽神ヒルメの兄弟とする説もある。ユニークな考えとしては、ヒルコはイザナキ・イザナミの両神による国生みの初めに生み出されたいまだ島ともいえない岩礁のようなものであり、潮の干満によってみえかくれする「涸子」のことであるというものもある。
このように、ヒルコをめぐっては、多くの解釈がみられるわけであるが、『古事記』や『日本書紀』の内容を生かして考えれば、障害児を象徴しているとみるのが穏当であろう。こうした神話の背景としては、古代社会における疾病、およびそれらに対応するための医療技術の未発達などが考えられる。また、出産の大変さ、とくに初産の難しさも背景に考えるべきかもしれない。さらに、ヒルコを船で流すという点についても、障害児や流産した児を棄てるといった風俗や習慣が古代社会にあった可能性も否定できないのではあるまいか。