「緊急事態宣言」は本当に意味がなかったのか?【中野剛志×佐藤健志×適菜収:第2回】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「緊急事態宣言」は本当に意味がなかったのか?【中野剛志×佐藤健志×適菜収:第2回】

「専門家会議」の功績を貶めた学者・言論人

■なぜ専門家会議の方針を妨害したのか?

佐藤:現実否認による逃避こそ、2010年代以後の日本社会の基本路線です。『平和主義は貧困への道』で使った表現にならえば「爽快」ですね。現実のあり方は自分で好きに規定していい、だから嫌なことは受け入れなくていい。爽快になった人間は、都合の悪い話を聞いても、すぐに忘れますよ。

中野:3分くらいしかもたない。ウルトラセブンみたいですね。

佐藤:3分で元に戻るかどうかは知りませんが。

適菜:理解したいことしか理解しない。今回の新型コロナ騒動でも、そういう人間が嫌というほど出現しました。

中野:専門家会議も言っているように、新型コロナの難しいところは、新規感染の時点は、感染が把握された時点の2週間前ということです。従って、いまは50人程度だけど2週間後にはもっと増えているかもしれない。だから、今はたいしたことないかもしれないけど、先を読んで早めに厳しい措置をとらないといけない場合がある。ところが世間一般は、自分の周りにたいして感染者もいないときに厳しい措置をとるのには納得しにくいので、厳しい措置を嫌がる。「まだ、その段階ではない」として動こうとはしない。

適菜:そうしているうちに手遅れになる。

中野:感染爆発を起こした国のパターンは、これのようですね。しかし、早めの説得って、相当難しいですよ。要するに、尾身先生たちは、非常に難しいリスクコミュニケーションを強いられていたわけです。専門家会議のような有識者の会議体があれほど前面に出たのは異例のことで、専門家会議の先生たちも「前のめりになった」って反省していましたが、私はそうは思わない。新型コロナは非常に難しい異例の事態だったから、異例の前のめりになるしかなかったんです。専門家が前のめりになって、体張って訴えてくれたからこそ、国民も「そうなのか」と思って、外出を我慢するなど対応した。でも、佐藤さんも仰ったように「苦しいことはやりたくない」というバイアスがあるから、もし別の専門家が「たいしたことないですよ」「まだ、そんな段階ではないですよ」と言えばそちらになびいてしまうでしょう。要するに、専門家会議が一生懸命難しいリスクコミュニケーションをやろうとしていたのに、「コロナを過剰に恐れるな」と騒いだ知識人たちが、それを邪魔したんですよ。

佐藤:最も邪魔したのは政府でしょう。しまいには専門家会議を廃止したくらいです。

中野:もちろん、専門家会議や西浦先生がすべて正しかったわけではないのでしょう。そんなことは彼らが一番よく分かっているでしょう。なにせ未知のウイルスと戦っていたのだから。専門家の間でも見解が一致しない点や不明な点もある。ですから、批判や代案の提言はあってもいい。いや、あった方がいい。しかし、専門家会議が言っていることを理解しようともしないで批判するのは、それこそ科学者として許されない。しかも、世界中の感染症や公衆衛生の専門家にも分からないところがあって、うまくコントロールできない国が多いという極めて難しい問題です。そして国民の生死がかかっている問題である。それなのに、よくもまあ、これまで感染症について論文を書いたことがないどころか発言したこともないような専門外の連中が、自信たっぷりに感染症や公衆衛生のプロに対していちゃもんをつけたり、あまつさえ断罪したりできるなと。その度胸が怖ろしい。

■「他人の命より自分のカネ」という政府の姿勢

佐藤:問題は専門家会議が、なぜ前面に出なければならなかったのかということ。リーダーシップを取る覚悟が政府になかったからです。本来なら総理みずから「自分が全責任を取るのでロックダウンにつき合ってくれ。そのかわり、経済的な損失は完全に補償する」と言うべきだった。
 ところが1月下旬、武漢市がロックダウンされたあとも、在中国日本大使館のホームページには「きたる春節(中国の旧正月)にはぜひ日本に来て下さい」という旨のメッセージが掲載されていた。しかも安倍総理の名義で。3月に東京オリンピック延期が決まるまで、なるべく手を打たずにすませようとしていたのが実情でしょう。

適菜:そうです。やる気無いどころか、妨害してるわけです。東京都は厚労省クラスター対策班の押谷仁東北大教授による感染拡大を予測した2通の重要文書を廃棄していました。(https://www.tokyo-np.co.jp/article/41914)。官邸は専門家会議の提言から「1年以上持続的対策が必要」との文言を削除、「直近1週間の10万人当たりの感染者0・5人以下」まで抑えるという手法は首相秘書官の今井尚哉の反発で骨抜きにされています。人命より財界の意向を重視したわけですね。

佐藤:他人の命より自分のカネ、そういう姿勢の政府が国民に支持されている。適菜さんが安倍内閣を批判したときに仰った通りですよ。問題は安倍総理ではなく、社会の側にある。

適菜:そうです。卑劣で幼稚な社会の空気が、ああいうモンスターを生み出した。

佐藤:「現実に直面するとツラいだけだから、もうやめようよ」と、政府と国民で手打ちをやったのが2010年代の日本です。専門家会議はそれが分かっていなかった。感染症が流行したら、さすがに現実に直面するだろうという錯覚に陥ったのです。
 その意味で、専門家会議に罪があるとした藤井さんの主張は正しい。現実逃避したくてたまらない国民にたいして、現実を容赦なく突きつけるとは、いったい何様のつもりであるか。

適菜:ははは。

佐藤:人間、自分の命を守るためなら何でもするとは言えません。が、自分の幻想を守るためなら何でもする。自滅することまで含めてです。そして政府や国民の少なからぬ部分は、「物事は上手くいっている」という幻想を守るためなら、物事がどうにもならなくなってもいいと(おそらく無自覚に)思っていた。

適菜:はい。

中野:「公衆衛生」というのは、実に難しい政策のようですね。というのも、国民の行動変容が必要なのですが、人間というのは習慣に従って行動していますから、その行動を変えるのは容易ではない。しかも、パンデミックのような国家レベルの話になると、国民全員という膨大な数の人間を行動変容させないといけないわけですよ。

佐藤:行動変容する人が少なかったら、それだけで失敗ですから。

中野:しかも「営業を自粛しろ」とか「外出を自粛しろ」という苦しいことをやらせるわけですから、これは相当しんどい。

佐藤:かなりの期間にわたり試行錯誤が繰り返されて当たり前、というくらいに構えるのが正しいですね。

中野:それを、何百万人、何千万人、場合によっては全国民にやらせなければならなかったわけです。例えば、「接触機会8割削減」と言っても、接触機会がどれだけ削減されているかをチェックするのは難しい。それは、専門家会議も認めています。そういう難しさも考慮した上で、専門家会議や西浦先生は、三密の回避とか接触機会8割削減とかを国民に分かりやすく訴えかけているのでしょう。その8割削減を藤井氏や宮沢孝幸・京大准教授らは過剰だと批判した。では、どうすればいいのかといえば、宮沢氏は3月頃、こういうツイートを出したそうです。
「外出中は手で目を触らない、鼻を手でさわるな、ましてや鼻くそはほじらない。(かくれてやってもダメ!) 唇触るのもだめ。口に入れるのは論外。」
「人と集まって話をする時は、マスクしろ。」
「他人と食事する時は、黙れ。食事に集中しろ!」
「(感染したら)一ヶ月会社休んで回復したら、みんなの代わりに仕事しろ。ただ、爺ちゃんばあちゃんの前には治るまで絶対でるな。」
などなど。
そして、最後に、「たった、これだけ! これだけで感染爆発は防げる。」と。
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200604/ 
https://creamrobo.com/20200612a/#toc2

きっと、その通りなのでしょう。
しかし、問題は「たった、これだけ!」というところ。
数人の対策だったら「たった、これだけ!」かもしれませんが、それらの項目ひとつひとつを全国民に自主的に徹底させ、かつ実行されたかどうかをチェックするのは、私に言わせれば、外出自粛や三密回避、あるいは8割削減よりも難しい。特に気になったのは、「目鼻口を絶対に触るな」ですね。大学の研究室レベルでなら可能かもしれませんが、国民や市民全員というレベルではまず無理でしょう。それに「たったこれだけ!」なんて言われたら、普通は「なんだ、新型コロナはたいしたことないのか」と油断して、つい鼻をほじりたくなる。

適菜:今、中野さんが仰ったことは、人類が20世紀に大きな間違いをしたことの反省がなにもないということです。社会科学をそのまま現実社会に当てはめれば地獄が発生する。当然、社会科学者はそんなことはわかっている。人間は合理的に動かないから。「目鼻口」さえ触らなければ新型コロナには感染しないと言われても、無意識に「目鼻口」を触ってしまうのが人間という存在です。世界はそれほど単純にはできていない。

中野:研究室レベルで出来たことは、社会でも出来ると考えるのは、傲慢な科学者の危険な発想です。これこそ、保守思想が最も警戒した発想ですね。

適菜:研究室レベルの成果を社会に押し付けるのはポル・ポトと一緒です。エリートが自分の正義を信じ込み、社会を改革しようとする。

佐藤:フランス革命以来の理性崇拝ですよ。

中野:藤井氏は、これに加えて、高齢者等の対策「さえ」やっていればよいと言って、高齢者等の徹底的な「隔離」を提案しています(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200406/)。なお、「さえ」を強調したのは、藤井氏自身です。高齢者等の対策「さえ」と聞くと、いかにも簡単そうな印象を受けます。しかし、現実には極めて難しいオペレーションになります。例えば、藤井氏自身が書いているように、60歳以上は日本の人口の三分の一にもなる。しかも、感染者数が増えれば増えるほど、高齢者対策等の徹底は、いっそう難しくなるでしょう。ということは、高齢者等を守るためには、やっぱり、全体の感染者数を減らさなきゃいけない。しかも、人口の三分の一「だけ」を「徹底」隔離で、残りの三分の二は「眼鼻口は絶対触るな」「飯は黙って食え」「それを全部、自主的にやれ」なんて、言うのは簡単ですが、やるとなったら、もう大変です。その証拠に、藤井氏らの提案通りにやって成功した国など、世界中どこにもありませんね。
 他方、専門家会議の先生方は、行動変容の難しさを判った上で、やっていると私は感じました。非常に実践的な感覚をもった先生方だなと感心しました。例えば、西浦先生が体を張って「このまま何もしなければ42万人の死者がでる」と警告を発したことが批判されています。しかし、実践的な観点から評価すると、新型コロナウイルスの難しさや、外出制限を強制できない法体系の下では、それくらい大げさに言わないと、国民全体の行動変容はできなかったということではないでしょうか。

次のページ西浦教授が「42万人死亡試算」を出した理由

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[caption id="attachment_1058508" align="alignnone" width="525"] ◆成功体験のある人間ほど失敗するのはなぜか
◆ 新型コロナが炙り出した「狂った学者と言論人」とは
高を括らず未知の事態に対して冷静な観察眼をもって対応する知性の在り処を問う。「本質を見抜く目」「真に学ぶ」とは何かを気鋭の評論家と作家が深く語り合った書。
はじめに デマゴーグに対する免疫力 中野剛志
第一章 人間は未知の事態にいかに対峙すべきか
第二章 成功体験のある人間ほど失敗するのはなぜか
第三章 新型コロナで正体がばれた似非知識人
第四章 思想と哲学の背後に流れる水脈
第五章 コロナ禍は「歴史を学ぶ」チャンスである
第六章 人間の陥りやすい罠
第七章 「保守」はいつから堕落したのか
第八章 人間はなぜ自発的に縛られようとするのか
第九章 世界の本質は「ものまね」である
おわりに なにかを予知するということ 適菜収[/caption]

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