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埼玉は東日本の中心だった!?地名の由来を辿って見えた、日本5位730万人の埼玉の歴史!!

新書『埼玉 地名の由来を歩く』8月8日発売

ベスト新書『埼玉 地名の由来を歩く』8月8日発売◎豊かな古代史

◎街道筋の繁栄

◎日本5位730万人もの人が住む埼玉の謎は地名で解き明かす!

◎埼玉県の難読地名検定!詳細な写真・地図つき
 

定価852円+税 【ISBN】978-4-584-12561-8

◆「春日部」と「粕壁」 どっちがルーツ?

◆「岩付」「岩附」「岩築」どれが正しい?

◆「高麗(高句麗)人」の軌跡を追う

◆「河肥」か「河越」か?川越氏とは何者か?

◆忍城の水攻めと古墳群

◆秩父に「和銅」の痕跡をたどる

◆藁の火を焚いた伝説から?蕨市!

◆大宮の氷川神社、盆栽村、膝子塚

◆戦乱のあと寄り合った?寄居町

◆美しい草加松原と松尾芭蕉

◆塙保己一、渋沢栄一、荻野吟子、下総皖一、埼玉が生んだ偉人たち

「古代史の彩と街道筋の繁栄」──地名から見た埼玉県の歴史と風土

この「古代史の彩」と「街道筋の繁栄」の二つのコンセプトが埼玉県の歴史と風土を成していると考えるのだが、実はこの二つはどう見てもかち合っていない。言い換えれば、この二つが歴史的に結びついてこないのだ。

埼玉県は旧武蔵国の北半分を占めているのだが、現在人の意識からすれば武蔵国の中心は東京都で、埼玉県エリアはその「続き」(周縁)と思われてしまっている。(中略) 江戸・東京を中心とする歴史の見方に現代人は慣れてしまっているが、果たしてこの見方だけでよいのか。本書で明らかにしたいのは、平城京以前ではむしろ埼玉県エリアの方が武蔵国の中心地であったという歴史的事実である。(本文より)

第1章 古代史に彩られた「彩の国」埼玉

第2章 現代都市 地名の由来を探る

第3章 埼玉の生んだ偉人の生地を訪ねる

第4章 埼玉県 難読地名検定

 

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所元所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。

 

 

 

 

 

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