畿内を特別視する日本書紀に存在した「政治的背景」
天地開闢神話と国生み神話⑦
国生み神話にみられる
異同の意味とは?
<畿内が特別な『日本書紀』>
国生み神話は、『古事記』の場合でも『日本書紀』の場合でもただ生み出された島々が羅列されているようにみうけられる。しかし、よくみるといろいろ興味深いことが隠されている。
まず、『古事記』の国生み神話の特徴としては、島に人格的な名称がつけられていることがあげられる。この理由を明らかにすることは難しいが、『古事記』の国生み神話と『日本書紀』のそれとでは、『古事記』の方が新しいとされている。こうした神話の成立時期が関わっているのかもしれない。
また、最も注目されるのは、国生み神話における大倭(日本)豊秋津島(洲)、すなわち、畿内の位置である。『古事記』では、大八島国と称される日本列島の主要部分にあたるエリアの最後に生まれたことになっている。しかし、『日本書紀』の本文では国生みの最初に位置づけられている。
具体的にみてみると、大日本豊秋津洲→伊予二名洲→筑紫洲→隠岐・佐渡洲(双子)→越洲→大洲→吉備子洲という順序で国生みがおこなわれている。そして、これらの島々を合わせて大八洲国としている。
この部分に関して、『日本書紀』には10の一書がみられる。たとえば、第1の一書には、
大日本豊秋洲→淡路洲→……→吉備子
という順序で国生みがなされていて、これらを総称して「大八洲国」というとしている。
このあとの第2・第3・第4・第5の一書には国生みの具体的記述はみられず、第6の一書では、
大日本豊秋津洲→伊予洲→……→子洲
となっている。次に、第7の一書をみると、
淡路洲→大日本豊秋津洲→……→対馬洲
とあって、大日本豊秋津洲が淡路洲の次になっている。この淡路洲が最初で、大日本豊秋津洲が2番目という順序は、次の第8の一書でも同じである。第9の一書では、
大日本豊秋津洲→淡洲→……→大洲
という順序になっていて、やはり大日本豊秋津洲が最初となっている。国生みに関する最後の異伝である第10の一書には、淡路洲の国生みが記されているが、その次にヒルコを生んだことがのべられているだけで、国生みの具体的記述はみられない。
このようにみてみると、『日本書紀』の国生み神話は、意図的に、大日本豊秋津洲、すなわち畿内を、国生みの第1番目にもってこようとしていることが読みとれる。