アースクエイク・ジャパン!【97年目の今日:関東大震災】
97年前の今日、関東大震災は起こった。コロナ禍で疲弊する日本。今、必ず「来る」と予測される天災としての大地震。私たちは生き延びることができるのか。謎のストリート系社会評論家・猫島カツヲが100年前と今とを「変わらない」ジャパンとしてとらえ、その残念な真実を詠みこむ。
◼︎残念な国
私は、生まれ育った国である日本を愛している。しかし、私の好きな日本は、先の大戦に象徴されるように、残念な国でもある。19世紀後半、迫る欧米列強の脅威を王政復古と富国強兵で躱(かわ)した。西欧のモノマネと和洋折衷のチャンポンだった。カタカナ英語ではローカライズ、あるいはアダプテーションとも言う。大英帝国に憧れ、空想上の大亜細亜の盟主ならんとして、西欧の後を追って領土拡張を夢見た。ご丁寧にナチスの妄想にも付き合った。しかし、植民地経営の経験もノウハウも無く、夜郎自大で利己的な軍事エリートと、付和雷同する空気の支配に国家国民の命運を委ね、ブレーキをかけそこなってボロ負けして破滅した。負けたら一転、責任者たちがロクに責任をとらぬまま、何事もなかったかのように、占領軍にすべてをゆるした。反省は口だけで、すぐに忘れる。
◼︎ジャパン!
しばしば奇跡的幸運にも恵まれる努力家でありながら、他力本願もあり、いつも肝心なところが中途半端だ。気が付けば誰も止められない方向に走りだし、大規模破壊でガラガラポンと記憶ごとリセット。無常観や美学に結びつける思想もあるが、ものは言いようだ。高度成長は春の夜の夢、バブルは崩壊し、失われた10年は、20年となり、30年となる。少子高齢化社会から国家衰退の証したる人口減少に転じる。移民は受け入れないと言いながら、裏口で外国人労働者を大量に仕入れて安く使う。らせんのように上がっていくのでもない。シーシュポスの神話のごとく、大きな岩を山頂まで運べば、また下まで転がり落ちる。この徒労感は日本のもう一つの姿でもある。そんな繰り返しの絶望を、互いの忖度と微笑みでごまかす日本を、私はジャパンと呼ぶことにする。
◼︎戦争か大地震か⁉️
再びジャパンを破壊し、リセットするのは、まさか戦争なのか、あるいは巨大地震なのか。さすがに戦争は、ある日突然始まるものではない。先の大戦の凄惨な記憶は、反戦というよりは嫌戦意識として、まだ息づいている。マンガもアニメもループするようにそれを描き続け、神話の領域に至っている。日本人はむき出しの暴力に対して敏感、繊細、脆弱になった。そんなジャパンにおいてなお、自らの意思を超え、どうにもならない大破壊を突如もたらすのは巨大地震だ。巨大地震が正気のリミッターを解除して、想像を絶する悲劇と狂気をもたらす。97年前、ジャパンは大地震で狂った。そこからおかしくなっていった。1945年に至るカタストロフィへの道を開いたのは、関東大震災(1923年)だったともいえる。
◼︎約4000の自警団
8月24日に加藤友三郎総理大臣が急死した。その8日後の9月1日正午前、首相不在の中、相模湾トラフを震源とする関東地震が発生、東京を含む南関東地区が壊滅的打撃を受け、死者行方不明者約10万5000人、約190万人の被災者を出した。翌日、政府は戒厳令を布告し、元首相、薩摩藩士の山本権兵衛が組閣した。すでに東京と横浜は火の海となっていた。そして、地震発生直後から「デマ」が飛び交い、軍、警察の主導によって約4000の自警団が組織された。彼らはこん棒、短刀、脇差、トビ口、竹槍、猟銃と、思いつく限りの武器で武装し、“恐怖”と“義憤”にいきり立っていたはずだ。善良なはずの市民によって集団的狂気を物質化した「群衆」が生まれる瞬間だった。
◼︎新聞が煽ったヘイト
1923年当時のジャパンは、台湾に続き、朝鮮半島を領有していた。ロシア革命と第一次世界大戦後の世界は、革命、内戦、謀略、抵抗運動、武力鎮圧の嵐が吹き荒れ、共産主義、民族主義、排外主義がしのぎを削っていた。暴力は日常だ。半島からは年々朝鮮人労働者が内地に移動、流入し始めており、震災時には約10万人がいた。日本語をうまく話せる者はまだ少なかった。統治下地域において抵抗運動があったことから、政府は朝鮮人を治安上の脅威と見なし、唯一のマスメディアだった新聞もこれに加担していた。すでに震災前から、ステレオタイプとヘイトは社会全体に蔓延浸透していた。本社壊滅を免れた東京日日新聞は、ここぞとばかりに朝鮮人の暴徒化、放火、井戸への毒入れ、強姦を創作、煽情的な表現で描き、デマ拡散のアジテーターを演じた。廃墟と化した東京、神奈川だけでなく、被害の小さい関東各地でも残虐行為はおきた。数千人という犠牲者数すら不明のまま風化しているが、現在と地続きのジャパンで起きた出来事だ。
◼︎人命の軽さと命の序列
2020年、新型コロナで多数の死者が出続ける国と地域では葬儀が間に合わず、戦時や大災害時のように死体がモノとして埋葬される。人の命が軽くなっている。戦場同様、命に序列が生まれている。感染防止の御旗のもとに人間の自由の根本である移動の自由が制限されている。世界各国でコロナ対策を名目にしたあらゆる統制が始まった。より強権を発動できる政府が、あたかもより有効であるかのように振る舞う。対するジャパン方式は、まず地方にやらせ、お試ししてから中央が追認する。やんわり言えば、勝手に自粛してくれる。強制しなくても、空気が支配する。これは自警団とルーツを同じくする、危険な仕組みでもある。
◼︎在留外国人:280万/1億2000万=2%
280万人を超える在留外国人がいる。関東地方に120万人、東京には55万人以上だ。なり手のいない農業、漁業にも、多くの外国人労働者がいる。当時とは比較にならない数の外国人が働いているジャパン。国別では中国、韓国、ベトナム、フィリピン、ブラジル、ネパール、台湾、インドネシアと続く。日本人と結婚した者も多く、生まれた子供も多い。外国人労働者の子供たちが高校進学できず、仕事にも就けないケースも目立ってきている。追い詰められていく人々の数はニュースを見てもわからない。雇用悪化によって平民が分断され、対立する歴史をあまく見てはいけない。100年前のような軍事政権、武断政治ではない。狂信的な差別意識とヘイトを持つ者も少ないだろう。阪神淡路、東日本でも、略奪も暴動も虐殺も起きなかったが、表面化しない犯罪行為はたくさんあった。「みんなポジティブになろうよ」という空気の中では美談が優先され、いやな出来事は疎まれ、黙殺される。身を守ることは容易ではない。関東大震災の再来を想像するのは不謹慎だろうか。
◼︎ 大震災からわずか約20年後のジャパン
関東大震災では、まず軍隊が意図的にデマを流し、自警団を組織しておいてから、デマを信じるなという指令を出すという見事なマッチポンプをやっている。大災害に乗じたのは社会主義者やテロリスト、まして外国人労働者ではなく、軍や警察だった。あらゆる証拠は隠滅され、記録も破棄された。「そんなことは二度と起きない、起きるわけがない」と現代人は言うだろう。75年前、13歳の少年兵として九州本土決戦準備に駆り出された老人が「あれは75年前の戦争じゃない、いまでも起きる」と言った。第二次大戦の戦争指導者、ジョージ・マーシャルは、「沖縄で12万を殺害し、東京大空襲では一夜で10万の命を奪ったが、日本軍には何の影響もなかった。戦うことをやめない日本を止める方法は、ショックを与えるしかなかった」と言っている。関東大震災からわずか約20年後のジャパンだ。
◼︎大地震で平民は生き延びることはできるか
コロナと向き合ったまま、国際関係が緊張し、世界経済は岐路に立つ。国家財政赤字は膨張する。言うほど、カネは無い。巨大地震は早晩起きる。平和なジャパンがリセットされるきっかけを巨大地震がつくる。一切合切お上にお任せで何とかなるわけがない。被害者と加害者は紙一重だ。大きなうねりの中で、平民一人の力は無だ。束になって、何かできるうちにやっておかなければ、また後悔する。「仕方がない」と、また言うのか。予測不能の事態が待ち受けている。そのうち政治家もメディアも未曾有の国難とか国家的危機という言葉を使い始める時が来る。どうせ大地震でガラガラポンのジャパンとは言っても、自らと家族が非業の死を遂げることが予定調和とは、誰も思っていない。いやなことを思い出してでも、同じ目に合わないように備えたい。生き方と命だけは、人任せにしてはいけない。目を瞑ったままでは、アースクエイク・ジャパンを生き延びることはできない。